07/03/2026

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ニッケイ新聞 2015年10月23日 ブラジル沖縄県人会ヴィラ・カロン支部(上原テーリオ会長)が『第13回沖縄祭り』を11月7、8日両日午前11時から、同支部前サッカー場(Praca Haroldo Daltro, 297)で開催する。入場無料。それぞれ午後9時、同8時まで。 特別ゲストとして沖縄県出身で日本の人気バンド「BEGIN」が公演を行う(時間帯は未定だが両日夕方以降)。例年2万人の来場者を数える同祭を一層盛り上げる。 過去2度の伯国公演を通し、当地の伝統音楽「マルシャ」に影響を受けたBEGINは、今年6月アルバム『ビギンのマルシャショーラ』を発売。自身の楽曲をブラジル風にアレンジした作品を収録し、当日は同作からも演奏されることが予想される。 ほかにも舞台ではレキオス芸能同好会など、総勢600人の太鼓隊が登場。琉球舞踊、バンド演奏等も加わり、絶えず舞台を盛り上げる。また沖縄空手の模擬演技には大迫力の400人が登場する。 食事も沖縄そばやサータアンダーギー(沖縄風ドーナツ)や山羊汁(ヒージャージル)等の沖縄料理や各種日本食のバザリスタが100店軒を並べる。 上原会長と照屋武吉実行委員長は「ブラジル中の県人が集まるお祭り。五感で沖縄を味わって下さい」と呼びかけた。 またブラジル側でのBEGINのコーディネーター・木本マルシオさんは、「メンバーは『ちょうど条約が調印された11月にライブができるのは特別なことだ』と話している」と明かした。 問い合わせは同支部まで(11・2296・1120)まで。
グアダルーペ聖堂を見学 3日目の9月27日、ふるさと巡り一行は世界遺産のテオティワカン遺跡に向かうため、ホテルをチェックアウトして午前9時に出発した。この日は夕方から、チアパス州都のトゥクストラ・グティエレスまで飛行機での国内移動となる。、 メキシコシティから北東に約40キロの距離にあるテオティワカン遺跡は、高さ65メートルに及ぶ「太陽のピラミッド」や高さ45メートルの「月のピラミッド」などがあることで有名だ。 この日は日曜日ということもあって平日よりも道は空いているようで、一行はまずバスで約30分の距離のグアダルーペ聖堂を見学する。93%がカトリック教徒で占められるというメキシコでは、「褐色の聖母」が安置されている同聖堂は最も重要な場所と言われ、一行が聖堂を訪れた際もミサが行われており、数多くの信徒や観光客が詰め掛けていた。 ガイドのセサルさんによると、1531年12月9日にアステカ人のフアン・ディエゴの前に聖母が現れて父親の病気を治し、その時に聖母から司教への印としてフアン・ディエゴが花をマントに包んで持っていったところ、マントには聖母の姿が映し出されたエピソードがあるという。そのマントに映し出された聖母の姿は、現在も新聖堂内に額入りで飾られている。 一行はセサルさんの説明を聞きながら、まずは旧聖堂の外観を見学。旧聖堂は18世紀に建てられたという古い建築物のため、地盤沈下の影響で聖堂そのものが傾いているのが肉眼でもはっきりと分かる。 続いて、1974年に造られたという新聖堂でのミサが行われている中、一行は祭壇中央の地下を通って、大型のメキシコ国旗に包まれるように展示された「褐色の聖母」の額に見入った。ちなみに、新聖堂を建設したのはラミレル・バスケスという有名な建築家で、86年に開催されたメキシコ・サッカーW杯会場となったアステカ・スタジアムをはじめ、国立人類学博物館や在メキシコ日本国大使館なども建設した人物だという。午前10時過ぎ、グアダルーペ聖堂を後にした一行は、改めてテオティワカン遺跡へと向かう。途中、車窓からは赤、青、黄色など色鮮やかな家々が山の斜面にびっしりと張り付いているのが見えた。 セサルさんによると、これらはメキシコのスラム街だという。今年は6月に行われた州知事選挙をはじめ、下院議員や州議員などの統一地方選挙が年内に実施される。そうした中、各政党が自分たちの政党カラーを支持する住民にペンキを与え、その政党のカラーペンキを家の壁に塗った人には200~500ペソ(約1400~3500円)の買い物カードが配られたとし、政治家のバラまき政策が横行しているそうだ。 ブラジルでも現政権でバラまき政策が公前と行われているが、メキシコの政党や政治家も同じようだ。 午前11時前、一行は目的地のテオティワカン遺跡に到着した。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月23日付
「週刊日墨」の思いを語る荻野さん 日墨協会(和久井伸孝会長)の歓迎夕食会では、8年前から活動しているという同協会コーラス部混声合唱団15人が「ふるさと」をはじめ、メキシコの歌及び東日本大震災支援曲「花は咲く」を熱唱。また、同協会の会員女性がカラオケを披露し、会場を沸かせた。 食事の前後にメキシコ側の出席者に話を聞いた。 メキシコ沖縄県人会会長の高良アルシデス英樹さん(57、3世)は、サンパウロ市のツクルビー区生まれ。母親がリューマチのため、13年間一緒に神奈川県に住んでいたことがあるが、メキシコに移住して既に17年が経つという。現在、ワインやビール等のアルコール類とハム・チーズ類を販売する商売を行っている。「メキシコも最近は治安が悪く、泥棒も増えています」と話していた。 10歳でメキシコに来て47年が経つという松本安弘さん(57、大阪)は、メキシコ工科大学大学院研究所で太陽電池についての研究をしているとし、記者も同じ「大阪出身の松本」であることを話すと親しみを込めた笑顔を見せた。 会場で、メキシコの邦字紙「週刊日墨(にちぼく)」の代表及び編集長だった荻野正蔵さん(70、茨城)を紹介された。海外邦字紙の大先輩である荻野さんに、ブラジル邦字2紙の記者が一緒にインタビューを行う。 「週刊日墨」は1955年ごろ創刊。67年に荻野さんが日本人学校の教員としてメキシコに渡った時分に「週刊日墨」の社長が亡くなり、当時6人で構成された「邦字紙存続委員会」の一員として大使館、日系団体関係者らとともに荻野さんも加わった。 「メキシコに邦字紙がないのは恥ずかしい」というのが委員会メンバーの考えだったが、当時26歳と若かった荻野さんに白羽の矢が立ち、70年に夫人との2人体制で4ページ建て1200部の「週刊日墨」を引き継いだ。「当初は『できません』と断ったのですが、周りから『(日本人学校の仕事が終わった)午後4時からならできるだろう』と言われて新聞の仕事をやるようになりましたが、そのうち日本人学校を辞め、新聞だけでやっていくようになりました」 記事取り、写真撮影、編集、割り付けはもちろんのこと、営業、広告、発送まですべてを夫人と2人だけで行った。新聞だけでは食べてはいけないため、84年からはレストラン経営も始め、邦字紙発行の資金にした。 「引き継いだ当時は活字を一つ一つ自分で拾っていましたが、そのうちタイプレス、ワープロ、パソコンになり、タイプレスはラテンアメリカではウチが一番早かったと思います」と荻野さんは当時の生活を振り返る。 「メキシコの郵便事情により、新聞がいつ読者のもとに届くかが分からず、海外日系人協会を通じて日本の新聞の『褪(あ)せない』記事を掲載し、日系社会では催しの『ありました』記事が多かったですね。小さな日系社会では下手に書くと軋轢(あつれき)が起こります。書かないことも新聞の一つだという思いがありました」と荻野さんは、海外の邦字紙ならではの経緯も話してくれた。 90年にはそれまでの2週間に1回の発刊を1週間に1回に変更するなど気を吐いたが、結局、97年に廃刊となった。 「(97年の)榎本殖民団入植100周年までは何が何でも頑張るつもりでやりました。最後の一人の読者になるまで新聞を出したいとの思いはありました」と荻野さん。現在、メキシコには駐在員を対象に生活情報などを盛り込んだ2つのフリーペーパーがあるというが、「新聞が無くなって寂しいという声も多いですよ」と邦字紙への思いは今も大きいようだ。 歓迎会会場では、締めくくりに恒例の「ふるさと」を出席者全員で合唱し、最後は全員で万歳をしながら午後10時に「お開き」となった。日墨協会関係者たちの思いのある歓迎に、ふるさと巡りの常連参加者からは「今までの交流で最高だった」との声も聞かれた。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月22日付
ニッケイ新聞 2015年10月23日 ブラジル広島センター(平崎靖之会長、会員家族数360)は25日午前10時から、『創立60周年記念式典』をブラジル日本文化福祉協会大講堂で盛大に祝う。湯崎英彦県知事、平田修己県議会議長、松井一實市長、永田雅紀市議会議議長、町村会の吉田隆行会長、サンパウロ州マリリアと友好姉妹都市提携を結ぶ東広島市の蔵田義雄市長、広島日伯協会の白井孝司会長らを中心に65人の大型慶祝団を迎える。1955年の芸備協会発足から60年―。この機会に母県広島と関係を再確認し、日伯関係の強化に力を入れる考えだ。 ブラジル広島文化センターは2003年の会館建設を機に、日系社会はもとより、地元ブラジル人社会にも文化、スポーツ活動の拠点として親しまれている。ヨガや空手教室のほか、隣接する体育館ではバレーボールやフットサルの歓声が響く。260人を収容するサロンでは、週末に様々なイベントに利用され、カラオケ、ダンスなどの練習会場としても広く利用されている。 特記すべきは、「ブラジル神楽保存会」の活動だ。日本国外唯一の神楽団として1970年、県人会員らによって発足した。一世の減少により活動を休止したが、故郷の誇る文化をより多くのブラジルの人々に見せたいと、若い二世らを中心に活動を再開。サンパウロ市を中心にブラジル各地で公演、大きな反響を呼んでいる。 25日午後3時からは、同講堂で本場広島から来伯する20余人による公演『紅葉狩・八岐大蛇』が行われるので、ぜひ会場に足を運んでほしい。県人会唯一のデイケアサービスだった「もみじの会」も現在諸事情により中断しているが、この60周年に再開させる予定だ。平崎会長は、「目下進行中の会館リフォームを機に、活動を活発化させたい」と意気込んでいる。   ブラジル広島センター歴代会長 初代=武田義信(1955~57)、2代=竹内秀一(57~58)、3代=柞摩宗一(59~63)、4代=村上智(64~70)、5代=前野豊(70~74)、6代=池森春三(74~82)、7代=中川清人(82~85)、8代=定常大二良(86~87) 、9代=力石敏雄(88~89)、10代=田中洋典(89~90)、11代=定常大二良(91~98)、12代=田中洋典(99~00)、13代=大西博巳(01~15)、14代=平崎靖之(15~現在)。   原爆ポスター展 24日(土)~11月6日までMemorial da América Latina, Barra Funda,...
ニッケイ新聞 2015年10月22日 広島県の伝統芸能「広島神楽」の公演が25日、「広島文化センター創立60周年式典」後の午後3時から、文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で行われる。入場無料だが、午後1時半から整理券を配布する(1人2枚まで)。開場は午後2時。 母県から総勢25人の大所帯を迎え、大迫力の公演を届ける。演じられるのは代表的な「紅葉狩」と、須佐之男と火を噴く巨大な大蛇が対峙する圧巻の「八岐大蛇」。日本から面や衣装のほか大道具も持ち込まれる。本場の神楽団が来伯するのは2008年の移民百年祭以来だ。 県内には150以上もの神楽団が存在するが、来伯するのは選抜された17人の演者と裏方合わせた25人。来社したブラジル広島神楽保存会の皆さんは、「日本でも中々見られない」といその貴重さを語る。 問い合わせは同センターまで(11・3207・5476)。
◆記念式典ブラジル広島文化センター(平崎靖之会長)は、創立60周年記念式典を25日午前10時からサンパウロ(聖)市リベルダーデ区の文協記念講堂(Rua Sao Joaquim,381)で開催する。案内のため、平崎会長、重田エルゾ、中森紳介両副会長、県人会員の橘愛子氏、佐々木敏江氏が来社した。 当日は広島県から湯崎英彦県知事、平田修己議会議長をはじめとする総勢65人の慶祝団が来伯し、記念品贈呈や県知事表彰などが行われる。式典終了後の正午頃から祝賀会に移行し、「サンバ」「広島神楽サンパウロ公演」を実施する。 ◆広島神楽公演60周年記念式典の一環として、「広島神楽サンパウロ公演」が25日午後3時から同文協記念講堂で開催される。当日は広島県から来伯した神楽団が「紅葉狩り」「八岐大蛇」の2演目(各40分間)を、ブラジル神楽保存会が「恵比須」(20分間)を披露する。 平崎会長は「来場者に配布するプログラム資料には神楽の魅力が存分に伝わるように日伯両語で説明を施した。会場の都合で座席数に限りがあるが、1人でも多くの方に広島神楽を楽しんでもらいたい」と来場を呼び掛けた。入場無料。先着900人で入場券(1人あたり2枚まで)を午後1時半から無料配布し、午後2時から開場する。 ◆「被爆70周年記念 広島・長崎原爆ポスター展」広島県人会、長崎県人会、ブラジル被爆者平和協会は「被爆70周年記念 広島・長崎原爆ポスター展」を24日から11月6日まで、聖市バラ・フンダ区のラテンアメリカ記念館(Av. Auro Soaresde Moura Andrade, 664)で実施する。 開会式が24日午前10時半から開かれ、来賓には中前隆博在聖総領事や松井一實広島市長、永田雅紀市議会議長が臨席する予定。同展覧会には計30作品のポスターのほか、聖州立学校の生徒らが折った千羽鶴も飾られる。無料だが、参加希望者はスーツとネクタイを着用のこと。 問い合わせは、同県人会(電話11・3207・5476)まで。 2015年10月21日付
日墨協会で受けた熱烈歓迎 小雨の降る中、日墨協会に到着したふるさと巡り一行は、和久井伸孝会長をはじめとする同協会会員たちの出迎えを受け、会館内へと案内された。 総面積2万平米を誇る同会館敷地内には日本庭園、日本食レストラン、プールやテニスコートも整備されているほか、「榎本殖民」をはじめとする約2000人に及ぶ先亡者たちの名前が一人一人刻まれている慰霊碑もある。 中畝(なかうね)明博事務局長によると、1956年に創立され来年60周年の節目の年を迎える同協会は、初代会長の故・松本三四郎氏が2万平米のうちの半分の1万平米の土地を寄贈して創設されたものだという。 日本庭園は、クエルナバカで7年ぶりの再会を果たした草川和田明子さん(74、2世)の娘・春美さん(50、3世)の義父に当たる小木曽貞義さん(81、岐阜)が約30年前に造ったものだ。小木曽さんは明治大学農学部を卒業後、恩師の勧めと親戚の呼び寄せで59年に24歳で単身メキシコに渡り、造園技術を学んだ。 昨年7月下旬には安倍晋三首相夫妻が同地を訪問し、20年ほど前には父親の故・安倍晋太郎氏も同庭園を視察した経緯がある。30年前に庭園を造った時は「枯山水」にしていたが、3年前から人口池を造り変えたという。 メキシコ岐阜県人長良会の会長でもある小木曽さんは造園業一筋で生きてきたが、日墨協会理事も約20年にわたって務め、現在もボランティアで日本庭園の管理を行っている。長良会の会員は現在10人ほどで、「以前は商社や企業の人も入っていましたが、帰国したため会員も少なくなりました」と寂しげな様子だった。 会館内での歓迎夕食会を前に、ブラジル側からは本橋幹久県連会長、メキシコ側からは和久井会長、メキシコ日系社会の名士である春日カルロス氏、前会長の戸田眞氏、在メキシコ日本国大使館の清水享公使らが会館敷地内にある先亡者慰霊碑に献花を行い、一行は雨天のため歓迎会会場である会館2階からそれぞれ黙とうを行った。 和久井会長の説明では、慰霊碑には毎年30人ほどの日本人及び日系人の物故者の名前を刻み続けているという。 改めて会館2階で歓迎夕食会が開かれ、メキシコ側からの64人を含めた約160人が一堂に会した。日墨協会の配慮により伯墨両国の出席者が出身県人別にテーブルに座り、日墨協会の中村剛副会長の歓迎ムード溢れる司会で進行、各県ごとに出席者が紹介された。メキシコには宮城、福島、新潟、埼玉、長野、岐阜、滋賀、京都、和歌山、岡山、福岡、沖縄などの県人会があるそうだが、会はなくても広島や大阪出身の出席者もいた。 あいさつに立った和久井会長は、「90人もの日本人及び日系人の方々をお招きするのは前代未聞で、協会の歴史始まって以来のこと」と歓迎の意を表した。また、同協会が来年創立60周年を迎え、2017年には「榎本殖民団」がメキシコの地を踏んで120周年の節目になることにも言及。「メキシコの熱い熱い日系の思いをお持ち帰りいただきたい」と述べた。 2004年から07年まで在ブラジル日本国大使館で勤めた経験のある清水公使のあいさつに引き続き、ブラジルを代表して本橋県連会長があいさつ。ふるさと巡りの経緯と県連のメイン行事である毎年恒例の日本祭りなどについて説明し、和久井会長が今年7月の日本祭りにメキシコから参加してくれたことや今回の歓迎会などへの感謝を表した。 両会長による記念品交換に続き、春日氏が「ブラジルの皆さんの1%しか日系人がいないメキシコですが、皆さんの100倍頑張りたいと思います」と激励。中村副会長の音頭により、メキシコ名物「マルガリータ(テキーラを使ったカクテル)」で乾杯が行われた。(つづく、松本浩治記者) 2015年10月21日付
「魅惑の町」指定のタスコ市 「銀が取れる町」として鉱物資源豊かなタスコ市。標高約1800メートルで周りを山々に囲まれている。山の斜面には白色を基調とした家がびっしりと建っているほか、山頂にはキリスト像もあり、どことなくリオのファベーラを彷彿とさせる。 ガイドのセサルさんによるとメキシコでは現在、「魅惑の町」観光プロジェクトを推進しており、全国に86カ所の「魅惑の町」が設けられているという。「魅惑の町」に指定されると政府から助成を受けられるとし、タスコ市もその町の一つ。同市は近い将来、世界遺産になる可能性も高いそうだ。 また、同市では坂が多く道が狭いため、白色に統一された馬力のあるカブトムシ(フォルクス・ワーゲン車、ブラジルのフスカ)がタクシーとして活躍しているとセサルさんが説明してくれた。 タスコ市街に入る前に我々第2グループは、銀細工の土産物屋で一旦停車。銀についての説明を聞く。それによると、1キロの銀を取るためには、4トンの銀鉱物が必要になるという。その後、銀製品の土産物を見て回るが、食事用のナイフが1本7200ペソ(約5万円)もするなど高価で、庶民である記者はとても手が出ない。 午後1時40分、この日も遅い昼食をタスコ市の眺望の良いレストランで取る。 昼食後、3人一組に分かれてカブトムシ・タクシーに分乗し、「超バロック様式」の彫刻が施されているというサンタ・プリスカ教会へと向かう。カブトムシ・タクシーの助手席は取り外されており、客は後部座席に3人が並んで座ることになる。 くねくねした狭い道を排気音をうならせて上がると、開けた場所に外観がピンク色のサンタ・プリスカ教会がそびえていた。教会前広場には、観光客を目当てにした地元の物売りが群がり、大人も子供も関係なく民芸品やガムなどを売りに集まってくる。 班ごとに教会内部を見学すると、キリスト像など壁に装飾された立体的な彫刻が迫ってくるかのようで、「超バロック様式」と言われるのもうなづける。 教会を見学し終えて広場に出ると、ここでも小規模なマニフェスト(反政府デモ)をやっていた。ガイドのセサルさんに聞くと、昨年ゲレロ州イグアラ市で大学生43人がバスでの帰路に警察からの襲撃を受けて行方不明になっていた事件への抗議運動だと説明してくれた。 この日の観光を終えたふるさと巡り一行は、午後4時にタスコ市をバスで出発し、メキシコシティまでの160キロの道のりを約2時間半かけて戻った。 メキシコシティに入ると雨模様となっており、午後6時40分、市内コロニア・ラス・アギラス地区の「富士山(ふじやま)通り」にあるメキシコ日墨協会に到着した。(つづく、松本浩治記者) 2015年10月20日付
ニッケイ新聞 2015年10月20日 ブラジル広島文化センター(平崎靖之会長)は、『創立60周年記念式典』を25日午前10時から、文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で開く。母県から湯崎英彦県知事、平田修己県議会議長、松井一實広島市長をはじめとした65人以上の大訪問団を迎える。 また式典後には60周年を記念して、県の伝統芸能である『広島神楽』の特別公演が、午後3時から(1時間前開演)大講堂で行われる。入場無料。 さらに前日24日からは、『戦後70年記念広島・長崎原爆ポスター展』を長崎県人会、ブラジル被爆者協会とラテンアメリカ記念館(メモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナ、Av. Auro Soares de Moura Andrade, 664)で共催する。同じく入場無料。来月6日まで。 日本から送られた30点の原爆ポスターには、今回のために全てポ語で解説が添えられ、聖市イタケーラ区の州立ヒロシマ学校の生徒約90人が折った千羽鶴も展示される。 なお、初日午前10時半からは開会式が行われ、訪問団のほか総領事、聖州知事なども出席予定。 平崎会長は、「沢山の方々と共に60周年を祝い、そして平和について考えることは、大変意義深いことだ」と話した。 問い合わせは同文化センター(11・3207・5476)まで
ニッケイ新聞 2015年10月21日 沖縄県人会(島袋栄喜(えいき)会長)主催の『第11回ウチナー芝居』が25日午後1時から、同県人会(Rua Dr. Tomas de Lima, 72, Liberdade)で開かれる。入場無料。 出演は琉球舞踊協会、斉藤悟琉舞道場、サンマテウス支部など、沖縄の伝統文化を継承する各団体から約200人が出演。沖縄方言(ウチナーグチ)による芝居、琉球舞踊、歌三線、民謡、太鼓、獅子舞など多彩な演目を披露する。 出演者の6割を占めるという二世、三世の活躍も見もの。ウチナーグチの語り部によるスピーチや、沖縄ソバ、サーターアンダギーなど郷土食の販売もある。 案内のため来社した島袋会長、具志堅シゲ子大会実行委員長、池原あき子理事、目差ジョン第一会計は「日本の中でも独特な沖縄伝統芸能を知るよい機会。沖縄以外の方も非日系の方も、お気軽に御参加ください」と呼びかけた。 問い合わせは同県人会(11・3106・8823)まで。
ニッケイ新聞 2015年10月15日 外交120周年を記念し、今月28日にご着聖される秋篠宮文仁親王ご夫妻の歓迎会が文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で午後5時から行なわれる。日系5団体主催。 入場整理のため、23日までに文協へ申し込みが必要。出席希望者は電話もしくはメールで、氏名と身分証明番号を伝えること。 また一般入場は午後2時から30分間のみ。歓迎会は同5時から6時まで。 申し込み、問い合わせは文協(電話=11・3208・1755、メール=contato@bunkyo.org.br)まで。
クエルナバカで母子が再会 2日目の9月26日、朝から小雨が降っているが、一行は午前8時半に3台のバスに分乗してホテルを出発。南に約90キロの距離にある観光地でモレロス州都のクエルナバカ市を目指した。 前日の団員からの不満の声が効いたのか、第2グループのガイドは非日系のメキシコ人ながら日本語が堪能なセサル・マルティネスさん(32)が同行してくれた。 セサルさんは、国立自治大学(UNAN)でグラフィック・デザインを勉強した際に、日本語、ドイツ語、イタリア語のいずれかの選択を勧められ、日本語を18歳の時に専攻したしたという。卒業後はテレビ局や旅行会社などを経てガイドになるための勉強を2年間行い、その間、日本語を独学で学習してきたという努力家だ。 そのため日本文化に興味があり、これまでに3回訪日している。桜の開花時期に合わせて今年4月にも日本を訪れ、新しく開通した北陸新幹線を利用して東京から石川県金沢市を訪れたほか、長野県や熊本県まで足を伸ばしたそうだ。 セサルさんの説明によると、メキシコシティの人口は約2000万人と多く、中心となるメキシコ連邦区(DF)だけで約900万人が住んでいる。気候は乾季(10月~5月)と雨季(6月~9月)と半年ごとに分かれており、雨季である(9月26日)現在は、夕方から夜にかけて雨が降り、昼前には晴れることが多いという。 また、メキシコシティ周辺は3000メートル級の山々がそびえ、隣州に行くにはこれらの山々を越えて行かなければならないとも。 ふるさと巡り一行は、バスで約30分の地点の大学都市で一時停車。1968年に開催されたメキシコ五輪競技場前で各自写真撮影を行った。学園都市は自然保護地区に指定されているとし、ビル群が建ち並ぶメキシコシティから一転、緑豊かな風景へと変わった。 一行が乗ったバスは約3000メートルの山を越え、標高約1500メートルのクエルナバカへ。同地に近づくと気温も上がり、セサルさんの説明通り、午前10時ごろには太陽が出てきた。午前10時過ぎにクエルナバカに到着。草川和田明子さん(74、2世)は、同地に住む娘の小木曽春美さん(50、3世)と7年ぶりの再会を果たし、抱き合って喜んでいた。 「煙を吐く山」という意味を持ち、メキシコで2番目の高さを誇るポポカテペトル山(標高5426メートル)。その山麓にあるクエルナバカ大聖堂(標高約1500メートル)は16世紀初頭に創られたメキシコでは最も古い修道院群の一つで、1994年に世界遺産に登録されている。我々一行が訪問した際は、大聖堂の外観は工事を行っていたが中は入ることができ、豊臣秀吉の命令で長崎で殉教した宣教師たちの壁画があった。 クエルナバカ大聖堂を見学した一行は、午前11時10分に出発し、次の観光地であるゲレロ州タスコへ市と向かった。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月16日付
非日系のジョアン・マチアスさん ブラジル富山県人会(市川利雄会長)創立55周年記念式典参加のためにブラジルへやって来た慶祝団の中に、一人のブラジル人青年がいた。青年の名はジョアン・マチアスさん。サンパウロ州出身の26歳で2012年から富山県の国際課国際交流員として働いている。富山県の友好奨学金を使い、サンパウロ総合大学(USP)で日本語学習をしたブラジル人が、富山県の一員としてブラジルへ戻って来た。流暢な日本語を操り、話を聞いただけでは外国人が話す日本語には聞こえない。各式典や会合では慶祝団の通訳業務に奮闘する合間を縫って話を聞いた。 ジョアンさんが日本語の学習を始めたのはUSP。幼い頃から外国語に興味があり、特に英語が好きだったそうだが、中学、高校と英語の勉強はやり尽くした感があった。そこで「英語の次に(アニメやゲームなどで)馴染みがあった言語が日本語だった」ことから文学部の日本語学科へ入学した。 在学中に富山県が主宰する友好奨学金制度があることを知り、応募したところ合格。2年間、日本語学習に没頭した。受給終了後も「どうしたらもっと日本語が上達するだろう」と自問自答していたところ、USPの留学制度があることを知り、応募。見事合格し、大阪で1年間日本語を学んできた。その1年間を通じ、日本は暮らしやすい国だと感じ、住みたいと思うようになったという。 現在は日本の地方自治体と各省、一般財団法人自治体国際化協会が主催する「JETプログラム」の一員として富山県国際課で働いている。「富山県の友好奨学金で勉強した自分の赴任地が富山。縁がある土地で働けて嬉しいし、少しは(県に)恩返しできてるかな」と笑う。 USPでは今年奨学金を受給する後輩や、恩師とも再会した。受給認定証授与式では、彼らの前で司会の通訳を堂々とこなす姿を披露。USPの教授も「立派に育ってくれて嬉しい」と目を細めた。ジョアンさんも「恩師らとの再会は嬉しかった。先生のお陰でここまでたどり着いたので感謝の気持ちでいっぱい」と話し、日本語であいさつした後輩の姿に「日本文学や文化の研究を頑張っているようで誇らしい」と先輩の顔をのぞかせた。 今回の富山県とサンパウロ州友好提携30周年式典での通訳も務めたが、「実は通訳の経験があまりないので、仕事前は緊張する。本番ではそんなことも言ってられないので、やるしかない」と意外な言葉が返って来た。 富山県に研修へ行き、30年前の式典で通訳を務めた先輩である新城真利枝さんは「私は式典前日は緊張して眠れなかった。彼の日本語にはアクセントもないし、私より上手」と後輩を褒め称えた。 約1年ぶりの帰国となったが「サンパウロは相変わらず交通量が多い」と苦笑い。「富山は都会過ぎず、田舎過ぎず住むのに快適。市内中心部に住んでいるので自転車でどこへでも行けるし、東京に行かなくても何でも手に入る。富山が大好きだから、富山にずっと住み続けたい」と話していた。 サンパウロ新聞 2015年10月16日付
日本ブラジル外交関係樹立120周年を記念して秋篠宮ご夫妻が来伯される28日午後5時から同5時45分まで、サンパウロ市リベルダーデ区の文協記念講堂(Rua São Joaquim,381)で日系5団体共催による歓迎会が開催される。 当日の出席希望者は入場整理のため、名前、身分証明番号をメールか電話で文協事務局への申し込みが必要。申し込み期限は今月23日まで。 なお、当日の入場時間は午後2時から同2時半までで、文協では「警備の関係上、入場時間を厳守いたします。ご理解くのほど、よろしくお願いいたします」と呼び掛けている。 申し込み、問い合わせは文協事務局(電話11・3208・1755、contato@bunkyo.org.br)まで。 サンパウロ新聞 2015年10月15日付
メキシコシティ歴史地区へ 日本メキシコ学院を出発した一行は、昼食のためにメキシコシティ歴史地区へと向かう。 市内に入ると、バスの車窓からは建物の屋上からメキシコの国旗を表す緑、白、赤色の大きな幕が垂れ下げられているのが見え、メキシコ国旗もそこらじゅうではためいていた。 メキシコ人ガイドが説明してくれるが、スペイン語しか話さないので要領を得ず、当初は1985年に発生したメキシコ地震から今年で30周年を記念してたくさんの国旗が掲げられているものと思われた。しかし、後日、日本語の分かる別のガイドに聞くと、9月は独立記念日があったからと教えられた。 また、歴史地区に入ると、男性は短パン一つ、女性は上半身を露わにしたメキシコの原住民と見られる人々が巨大な横断幕を掲げ、マニフェスト(政府への抗議運動)を行っていた。 午後2時、遅い昼食を市内歴史地区のソカロ中央広場に面するホテル「マジェスティック」の7階で取る。同所は中央広場が一望できる観光ポイントでもある。 記者と同席した山下美佐尾さん(73、2世)は、コチア青年2次4回生の夫・山下哲男さん(75、鹿児島)と一緒に初参加。サンパウロ州バルジェン・グランデ市に住み、同地のADESC(農協婦人部連合会)仲間に誘われたという。 「10年ほど前までは養鶏をやっていたので、なかなか家を空けることができなかったけれど、今はADESC一本」で活動しているとし、バルジェン・グランデの月2回開催されるADESCのフェイラで、焼きそばや天ぷら等を販売しているそうだ。 メキシコの印象について美佐尾さんは「少し昔のブラジルという感じで落ち着きがある」と率直な感想を述べ、「ファミリアで行く旅行もいいけど、このツルマ(ふるさと巡り一行)で大勢で行くのも楽しみがあるよね」と笑顔を見せていた。 昼食を済ませた一行はグループごとに分かれて、ソカロ中央広場に面するメトロポリタン大聖堂などを見学した。しかし、メキシコ人ガイドのスペイン語が分かりづらく、日本人が多い我々第2グループのメンバーからは「せっかく説明してもらっても、言葉が分からない」と不満の声が複数から挙がっていた。 この日の公式スケジュールを終えて、午後5時ごろホテルにチェックインした一行だが、90人もの団員がホテルに2台しかないエレベーターを使用するため、ロビー周辺はしばらくの間、ごった返していた。 夕食は午後7時に団員全員がホテルで取ると言われていた。しかし、遅い昼食だったために夕食には時間が早いことと、公式行事がこの日は終了したため、記者たちはブラジルから同行した日系ガイドに「夕食は公式行事ではなく自由参加であること」を確認し、同ガイドの了承を得た上で外出。メキシコシティの庶民の雰囲気を楽しんだ。 しかし、翌日の9月26日の朝食の時、前日の夕食の席に山田彰(あきら)駐メキシコ日本国大使が出席したことを県連関係者から聞き、面食らった。山田大使は9月26日夜に予定されていた日墨協会(和久井伸孝会長)主催の歓迎夕食会には所用で出席できないために、その前日にふるさと巡り一行に顔を見せたという。夕食会では山田大使自ら団員の各テーブルを一つずつ回って交流を深めたことを伝え聞いたが、「後の祭り」だった。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月15日付
充実した施設と設備に感嘆の声 ふるさと巡り一行は、3グループに分かれて日本メキシコ学院内を案内してもらった。 我々第2グループは、日本コース総校長で同学院に赴任して2年になる平居繁和氏に同行してもらうが、それにしても広い。敷地内には、日本コースとメキシココース及び幼稚園のそれぞれの校舎をはじめ、1周200メートルの陸上トラック、体育館、講堂、温水プール、コンピューター教室などが完備されている。また、毎年の行事として運動会、太鼓演奏会のほか、サッカーや野球の活動もあるという。 平居氏によると、メキシココースの生徒は900人で、日本コースは小学生115人、中学生31人の計146人。メキシココースの高等部には約120人が在籍し、中学部から入部する人材が多く、日本コースを履修した生徒が高等部を経てメキシコの大学に入るケースもあるそうだ。 日本コースの生徒の約8割は日本からの企業駐在員子弟。残りの2割は日本人とメキシコ人の混血児で、完全なメキシコ国籍者も2人が在籍している。 メキシココースは9月に新学期が始まり、授業時間は午前7時から午後3時まで。一方の日本コースは、日本の文部科学省の認可を得て日本の教科書を使用するなど本国と同じカリキュラムで行っているため、毎年4月に新学期となり、平日の授業時間は午前8時から午後4時までとなっている。日本コースの教師は日本から14人の現職教師が派遣されているほか、現地採用教師、メキシコ人教師、カウンセラー、保健士等を含めて20人以上の教員体制が取られている。 ふるさと巡り一行が同学院を訪問したのは9月25日の金曜日。月に1回、月末の金曜日に開催されている「教師研修」が実施されていたため、この日は残念ながらメキシココースの生徒の姿はなかった。 それでも日本コースの授業の様子を学年別に見学させてもらうと、低学年の教室では「ハイ、ハイ」と手を挙げ、教師の質問に答える生徒の明るい声が響いていた。 学年ごとにクラスが分かれており、掲示板には書道や絵画の作品が掲示され、卒業生の記念制作品も飾られているなど、日本の学校とほとんど変わらない。 卒業生と言えば、同学院の卒業生がメキシコに約800社が進出している日本企業に就職している例も少なくないようで、「日本語とスペイン語を話せる人は引っ張りだこの状態」(平居氏)という。 また、同学院で11月に開催される運動会には、メキシコ人の父兄なども含めて毎年約4000人が参加する大規模なものになり、「特に綱引きは参加人数の制限がなく、綱を持てるだけ皆が参加するほど人が多いです」と平居氏。「メキシコ人は一般的に親日的で、日本人や日系人に対する評価は高いです」と話す。 きれいに整備された校舎や陸上トラック等の施設を見学しながら、ふるさと巡り一行からは「こんな所で勉強できたらいいでしょうね」と感嘆の声が挙がっていた。 リオ市に住み、リオ日伯文化協会で料理の講習などを行っているという村越利江さん(75、神奈川)は、「本当に素晴らしい学院です。来て良かった」と率直な感想を語っていた。 見学を終えた一行は、入口付近で記念撮影を行い、日本メキシコ学院を後にした。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月14日付
ニッケイ新聞 2015年10月14日 ブラジル日本都道府県連合会(本橋幹久会長)の9月度代表者会議が開かれ、43団体の代表者が出席した。 7月に終えた第18回日本祭りに関し、山田康夫実行委員長(滋賀)より黒字4万632レとの最終決算が報告された。「赤字ではないがもう少し利益を出せたはず」と課題を口にした。 次回開催に向けた準備委員会の市川利雄委員長(富山)は、前回までの反省を踏まえ「来年は総予算330万レと規模も大きくなり、さらに予算を透明化させる必要がある。そのために実行委員を増員した。さらに各県人会からの協力も必要」と呼びかけた。 しかし一部からは、「個々の県人会行事ですら少ない役員に負担が集中している状況。人員が必要な目的を明示して欲しい」といった意見があり、拍手で同調する県人会も多くあった。 それに対し市川委員長は、「県連の存続のため今まで入ってこなかった若年層の力が不可欠。日本祭りを種にして、彼らを育てることも必要だ。会員にも強い態度で向かわなければ」と理解を求めている。 7月の収入は7万9814レ、支出は3万9416レ、8月はそれぞれ1万6629レ、8万5720レと報告された。
12日間で10都市各地をご訪問 【東京支社=瀬頭明男】予定されていた秋篠宮同妃両殿下のブラジルご訪問が9日午前、閣議で了解され、本決まりになった。今回のご訪問は、ブラジル政府の「外交関係120周年の機会に両殿下をお招きしたい」という要望に応えたもの。日本政府として「日本とブラジル両国の友好関係の面から両殿下のご訪問をお願いした」としている。両殿下の日本ご出発は今月27日で、ドイツを経由して28日にサンパウロ(聖)市に到着され、ブラジル10都市で公式行事に出席された後、11月10日にご帰国になる。帰国の途中、ドイツに立ち寄られる。 ブラジルご訪問の詳細日程は次の通り。 【サンパウロ】28日午前、聖市ご到着。午後からブラジル日本語センターご訪問。イビラプエラ公園内日本移民開拓先亡者慰霊碑ご参拝後、日本館をご訪問。サンタ・クルス病院ご視察後、ブラジル日本文化福祉協会ビル内で日系代表者とご懇談。移民史料館ご視察後、日系社会歓迎行事に臨席される。 29日午前、救済会憩の園、サンパウロ総合大学本部キャンパスを訪問され、同大学学生とご懇談。午後からはブタンタン研究所をご訪問後、サンパウロ(聖)州政庁で州知事とご引見。その後、州知事及び在聖総領事館共催の歓迎レセプションにご出席。 【パラナ】30日午前、クリチバ市へ。午後は同市内日本広場をご視察。クリチバ日系文化援護協会をご訪問後、地元日系人とのご懇談。パラナ州政庁で州知事とのご懇談後、オスカー・ニーマイヤー美術館ご訪問。同美術館で日本ブラジル外交樹立120周年記念行事とパラナ州日本移民100周年記念行事にご臨席。パラナ州政庁で州知事主催の歓迎夕食会に出席される。 31日午前、ロンドリーナ市へ。ロンドリーナ文化体育協会を視察され、同協会で記念プレート除幕。トミ・ナカガワ公園ご視察後、パラナ日伯文化連合会(アリアンサ)ご視察。午後はローランジャ市へ移動され、パラナ移民センターでパラナ州北部日系人にご会釈(えしゃく)。1988年ご来伯時にお手植えされた記念植樹をご覧の後、同センターで日本ブラジル外交樹立120周年記念行事兼パラナ州日本移民100周年記念行事に出席される。その後、マリンガ市に移動され、マリンガ日本公園を視察後、同公園で記念植樹。マリンガ文化体育協会も視察される。 【南マット・グロッソ】11月1日、カンポ・グランデ市を経由して南パンタナールのミランダ市をご視察。 2日午前中も南パンタナールをご視察後、午後からはカンポ・グランデ市内で州知事とご引見。ドン・ボスコ博物館をご視察後、クルベ・デ・カンポで日系代表者と懇談され、記念碑除幕も行われる。その後、日系社会歓迎行事にご出席。夕方、カンポ・グランデ市からトランジットで聖市へ。 【ベレン】3日午前、聖市から移動され、午後ベレン市ご到着。午後から汎アマゾニア日伯協会会館でパラー州ほか日系人とのご懇談。在留邦人・日系人歓迎行事にご臨席。州知事官邸でご引見後、州知事主催夕食会にご出席。 4日午前中、アマゾン川、ベル・オ・ペーゾ、エミリオ・ゴエルジ博物館ご視察。午後ブラジリアへ。 【ブラジリア】5日午前、連邦議会・下院議会ほかとご引見。連邦議会主催日本ブラジル外交樹立120周年記念式典にご出席。上院議長ほかとご引見。その後、連邦直轄区政庁で同直轄区知事とご引見。午後からはセラード農牧研究センター内をご視察。在ブラジル日本国大使館で日系人代表ほかとご懇談後、日系社会歓迎行事にご臨席。 6日、大統領府でジルマ大統領とご引見後、外務省で外務大臣ともご引見。外務大臣主催の午餐会にご出席後、午後はリオ市へ移動される。 【リオ】7日午前、リオ市内植物園(ジャルジン・ボタニコ)内日本庭園改修事業にご出席。州知事公邸でご引見後、州知事主催昼食会にご出席。午後からはリオ日系協会で在留邦人歓迎行事にご臨席。その後、コルコバードを視察される。 8日午前、国立自然博物館、リオ植物園(ジャルジン・ボタニコ)をご視察。その後、妃殿下のみIBBY(国際児童図書評議会)のブラジル支部関係者とご接見される。夕方、ガレオン空港からドイツを経由して帰国される。 サンパウロ新聞 2015年10月10日付
日本メキシコ学院を訪問 今回のふるさと巡りに参加した計90人の一行のうち、記者が同行した第2グループの大半は、9月24日午後7時20分にサンパウロ市リベルダーデ広場から出発した専用バスに乗車。グアルーリョス空港に新しく開設された第3ターミナルで下車し、同日午後11時30分発のTAM航空による直行便でメキシコの首都であるメキシコシティを目指した。 サンパウロからメキシコシティまでの飛行距離は7441キロ。直行便でも9時間半かかる。ブラジルとメキシコの時差は2時間で、時計を2時間遅らせた。 メキシコシティに到着したのは現地時間の9月25日午前7時。小雨模様で気温は14度と低い。空港でドルからメキシコペソに両替すると、為替レートの良いところでも1ドルが16.20ペソ。とりあえず100ドル分を交換して、マヌエルというメキシコ人ガイドの先導で社団法人「日本メキシコ学院「Liceo Mexicano Japones, A.C.通称=リセオ)」へと向かう。 事前のイメージでは暑いと思っていたメキシコシティだが、標高が約2250メートルと高い上、雨季(5月~10月)の時期とあって午前と夕方には毎日雨が降るらしく、空模様も曇天ですっきりしない。 市内を移動するバスの中で同じ第2グループの草川和田明子さん(74、2世)の近くに座り、何気なく話を聞いていると、次女の小木曽(こぎそ)春美さん(50、3世)が9月26日に訪問する観光地クエルナバカに住んでいることが判明。明子さんは「娘が7年前にブラジルに遊びに来たので、それ以来の再会になります」と嬉しそうな表情を見せた。 明子さんはパラナ州マリンガ市に住んでおり、長年地元のブラジル中学校で地理の教師をしていたという。ふるさと巡り旅行には初参加だが、同じマリンガ市に住む兄と、ブラジリアに住む妹夫妻、サンパウロに住む末の妹夫妻の6人で参加した。 娘の春美さんは1989年に滋賀県に留学した際、メキシコ日系2世の現在の夫と知り合い、90年に結婚。夫の故郷であるクエルナバカに移り住んだ。明子さんは、そうした縁でこれまでにメキシコには数回来ているそうだが、今回は15年ぶりの訪問。「まあ、時間の経つのが早いこと」と時の流れを実感していた。 今回、家族と親戚一同で娘と再会し、グァテマラ国境近くの「榎本殖民団」の入植地があるチアパス州アカコヤグアには一緒に旅行を楽しむことになるという。◎   ◎午前10時半に日本メキシコ学院に到着。ふるさと巡りの他の第1、第3グループのメンバーは既に別便で先着しており、我々第2グループが一番遅れての到着となった。 敷地内に入ると、広大な施設が目に飛び込んできた。 関係者にもらった資料などによると、同学院は1974年5月に日墨(メキシコの意)両国の当時の文部大臣が会談し、同年9月に訪問した田中角栄首相とエチェベリア大統領(いずれも当時)との会見での共同声明で「日本メキシコ学院の設立は両国民の相互理解のために画期的重要性を有するものであって、早期開設を支援する」ことが表明されたことが開院のきっかけとなった。同年9月29日に設立登記され、77年9月に開校したという。 ふるさと巡り一行を前に施設内であいさつに立った春日マリア・テレサ理事長はメキシコ日系社会の名士である春日カルロス氏(77、2世)の妹に当たる。春日理事長は、同学院が日本とメキシコの教育カリキュラムを一緒に学習できることを重視。日本語、スペイン語、英語の3カ国語を学習することでレベルの高い教育を目指し、「日本文化をメキシコ人に伝え、メキシコの良さを日本の駐在員子弟たちに伝えたい」と強調した。 日本から初めての学院長として今年1月に就任したという渡辺靜雄学院長は、「世界で一つだけの日本政府が造ったインターナショナルスクールだということが大きな特徴」と説明。「元々は『日墨(にちぼく)学院』と呼ばれていましたが、『墨』というとイメージが悪いので、現在は『日本メキシコ学院』とし、通称『リセオ』と呼ばれています。メキシコにはドイツ系やイギリス系のインターナショナルスクールもありますが、大手紙の広報ランキングではリセオが毎年のように1位となっているのはとても名誉なこと」と述べた。(つづく、松本浩治記者) サンパウロ新聞 2015年10月10日付
ニッケイ新聞 2015年10月10日 秋篠宮同妃両殿下の来伯が日本時間9日の閣議で了承されたのを受け、正式に公表された。日伯外交樹立120周年を記念して28日に着聖され、8日までの12日間滞在される。聖市、ブラジリア、パラナ、ベレン、リオなど計10都市をご訪問予定。修好通商条約の締結日である11月5日には、ブラジリアで記念式典に臨む。 秋篠宮同妃両殿下は27日に日本をお発ちになり、10日ご帰国の予定。主な日程は次の通り。28日に聖市へ到着され、イビラプエラ公園内の先没者慰霊碑を参拝後、文協での歓迎式典に臨む。サンタクルス病院や憩の園のご視察、また州政府による公式記念行事にご出席予定。 30日からはパラナ州へ。日本人入植百周年を記念する同州では、州都クリチバで州政府公式行事などにご出席される。翌31日から北パラナのロンドリーナ、ローランジャ、マリンガを訪れ、1、2日には南麻州カンポ・グランデにも足を運ばれる。 3、4日はパラー州ベレンへ向かい、日伯修好通商条約を締結した5日には、首都ブラジリアにて連邦議会の記念式典、ジウマ大統領との面会も予定。7日はリオへ移動され、8日の離伯まで各地で日系団体と交流する。 皇室のブラジル公式訪問は、2008年6月の日本移民百周年を記念した皇太子殿下以来となる。高円宮妃久子さまは同年9月にウルグアイ日本人移住百周年式典の後に立ち寄られ、昨年のサッカーW杯でも日本サッカー協会の名誉総裁としてギリシャ戦(6月19日、ナタル)のご観戦に再度訪れたが、日本代表チームの激励などが主な目的だった。 秋篠宮文仁親王にとっては、移民80周年の88年以来2回目のご来伯となる。当時は礼宮殿下として、移民の日に合わせて同月16~24日に聖市、リオ、ブラジリアほかパラナ州ローランジャ、パラー州ベレン、アマゾナス州マナウスなどをご訪問された。なお紀子さまは今回が初となる。