23/04/2026

Dia: 17 de abril de 2012

【東京支社=瀬頭明男】沖縄在住のブラジル出身日本人、日系人の組織「沖縄ブラジルネットワーク・アミーゴの会」(与那城昭宏会長)=沖縄県島尻郡南風原(はえばる)町=が7日、旗揚げした。沖縄とブラジルの交流促進のほか、言葉の不自由な在日日系人が言葉を学ぶシステムの構築、会員によるブラジルの沖縄への紹介など多彩な活動を予定している。沖縄在住の日系人は約200家族と推定されるが、そのうち「アミーゴの会」に80人が入会している。 与那城会長によると、沖縄には東北大震災で東北から移住した日系人もいるなど、沖縄在住の日系人は増加傾向にある。アミーゴの会を通じて沖縄の若者と日系人の交流が深まり、沖縄の人がブラジルについての知識が深めようと、アミーゴの会を立ち上げた。同会長は「日本語を教えるシステムを作り、学校や自治体などから要請があれば、積極的に依頼に応じ、ブラジルについては話をしたい」と意欲を見せている。 発足した7日、「アミーゴの会」は南風原文化センターで交流会を開いた。交流会には県費留学生、留学生OB、大学関係者ら60人が参加した。交流会ではフェイジョアーダが振る舞われ、与那城会長が「ブラジル出身の若者たちを支えながら、沖縄とブラジル間の情報交換の場にしたい」とあいさつした。 交流会の模様は地元新聞も大きく報じた。地元紙記者の質問に琉球大学大学院に留学中のルシーラ悦子さん(30)は「ブラジルに興味のある人にポルトガル語を教えたり、私たちにできることをどんどんやりたい」と答えている。また、38年前にブラジルから沖縄へ戻った久保田宏さん(71)は「いろんな人と会えるのがうれしい」と、「アミーゴの会」設立を喜んでいた。 日本にはブラジル日系人が約23万人在住しているが、民間で「アミーゴの会」のほか、「ブラジル友の会」(岐阜県)、「関西ブラジルコミュニティ」(兵庫県)、「ABCジャパン」(神奈川県)などが活動している。 2012年4月17日付
ニッケイ新聞 2012年4月17日付け 愛知、和歌山、滋賀、大分の4県人会が共催する『第4回屋台祭り』が22日午前11時から、愛知県人会館大サロン(Rua Santa Luzia, 74, Liberdade)である。木原好規会長(和歌山)、山田康夫会長(滋賀)、豊田瑠美副会長(愛知)、伊東信比古理事(大分)が来社し、来場を呼びかけた。焼きそば、おにぎり、あんみつ、持ち帰り用白餅(愛知)、関西風お好み焼き(和歌山)、肉うどん(滋賀)、トリ飯・トリ天・牛たたき(大分)。午後1時からは舞台で郷土踊りやカラオケ(参加無料)など余興や、子供の遊び場も準備されている。白餅は1袋6レアル(400グラム)。購入希望者は19日までに愛知県人会(11・3241・2686/3104・8392)まで申込みを。
ニッケイ新聞 2012年4月17日付け 【沖縄タイムス・南風原】県内から多くの移民が渡ったブラジルとの交流を推進し、次世代へと引き継ごうと、沖縄ブラジル ネットワーク・アミーゴ会(与那城昭宏会長)が発足し、7日、約60人が参加して喜屋武町の南風原文化センターで交流昼食会が開かれた。1908年の最初 の移民から100年余、ブラジル社会で6世の県系人が活躍する中、参加者は交流の発展を決意した。同会は次世代の交流へ向けて、若いリーダーの育成も目指す。与那城会長は「沖縄で活躍するブラジル出身の若者たちを支えながら、沖縄とブラジルの情報交換の会に育て、実のある交流をしていきたい」と抱負を述べた。昼食交流会では沖縄で学ぶブラジルの留学生らが手作りした同国の家庭料理「フェジョアーダ」が振る舞 われた。留学生たちはあいさつで「沖縄とブラジルの懸け橋になりたい」と流ちょうな日本語やウチナーグチで話し、会場を沸かせた。 糸満市から参加した久保田宏さん(71)と初江さん(66)夫妻は、38年前にブラジルから沖縄に戻ってきた。夫妻は懐かしそうにフェジョアーダをほおばりながら「いろいろな人とつながりができてうれしい」と話した。
ニッケイ新聞 2012年4月17日付け 「第37回ふるさと巡り」に参加した及川君雄さんによると、戦前に移住し、イタケーラでシッチオを経営していた故吉岡省氏は桃作りを成功させた人物として知られるが、最初同地は砂地で機械もなく「販売も大変だったらしい」と及川さん。「厳しい人だと言われていたが良い人だった。息子のように思ってくれていたような感じもした」と思い出す。ちなみに日本青年協会は今も存続しており、近代的農業経営を志向する青年の育成や青年の国際交流などを行う歴史ある団体だ。
ニッケイ新聞 2012年4月17日付け 会場では坂手実さんの説明の後、婦人部の皆さんが着物を着て「花笠音頭」を披露する傍ら、あちこちで再会や交流の輪が広がっていた。ふるさと巡りに約5年前から毎回車椅子で参加、「日本青年協会」の派遣で1959年に来伯した及川君雄さん(75、岩手)は同地在住の肥後フクエさん(73、鹿児島)と半世紀ぶりの再会を果たした。来伯したばかりの同協会派遣の若者は当時、イタケーラで果実の栽培を営んでいた吉岡省氏のもとに滞在することになっていた。同会派遣の男性と結婚し、後にボツカツに入植する肥後さんと及川さんは、その場で顔見知りになっていた。及川さんはその後イタケーラに2年半、インダイアツーバに6年滞在し、68年からアチバイア在住。専門はバラの栽培で、かつて何度か訪れ縁のあったボツカツへの訪問にあたり、会員らにバラの花を持ってきていた。「最初は大変だった。でも狭い日本でこせこせしているよりも、のんびりしたブラジルでよかったかな」としみじみと話す肥後さんは、及川さんと近況を報告し合い「(子供が独立して)夫婦二人になると寂しいね」などと語り合っていた。ふるさと巡り常連の神林義明さん、小山徳さん(ともに長野県出身)は、前回同様、積極的に訪問先の移住者に話しかけ、同郷で同地在住の中澤巻重さん(71)、上野実さん(83)らと写真を撮っていた。中澤さんは61年に来伯し、ブラガンサ・パウリスタに入植。パラナ州を経て、ボツカツには42年住む。「大学病院や工場があって、よい町ですよ」と満足そう。65年に同地に移り住んだ坂手実さんは「現在はほとんど二世で、日本語継承が難しくなっている」と真剣な表情を見せた。「日本語学校もあるが生徒は少ない。何を何のために教えるのかを検証し、組織のあり方を考え直さなければ運営ができなくなる」と危機感を募らせる。同地では一昨年前から市との共催で「友達祭り」という名の日本祭りを開催し、非日系の来場者を多く迎えている。「今はコロニアにとって大切な時期。ブームになっている今、日本文化を紹介しなくてはいけない」と思いを語る。文協には非日系を含む約100家族の会員がいるが、実際活動に参加しているのは約60家族に過ぎない。「創立当時も100家族ほど会員がいたが、住んでいた日本人のほぼ全員。昔は日本人なら会に入ることが当たり前だったが、今は違う。入ったらどういうメリットがあるかを考えるし、会長をする人もいない。寄付を募っても集まりにくい。なかなか難しいね」と語った。(つづく、田中詩穂記者) 写真=再会を喜び合った及川さんと肥後さん この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-tanaka4.html