06/03/2026

Ano: 2012

島根県人会(足立操会長)主催の第8回慈善バザーが、11日午前10時から午後5時まで聖市プラッサ・ダ・アルボレ区の同県人会館(Rua das Rosas, 86)で開催される。 バザーでは、手芸品、盆栽、折り紙、陶芸、パッチワークなどの手作り品を約30人のバザリスタが出店。また、会場では太巻き、福神漬け、シイタケ、おこわ、ボーロなどの食品類も販売される。 案内に来社した村上アンドレ副会長、浜野稔、宮村径行両理事、バザー担当の和田・森美春さんによると、慈善バザーは年々来場者が多くなり、昨年は約400人が来場。売り上げ約2万5000レアルのうち、15%分(約3750レアル)を病人用のベッドとして希望の家に寄付したという。今年の売り上げは、やすらぎホームに寄付を行う。 一行は「毎年家族連れが多く、たくさんの品物を買っていただいています。バザーではくじ引きも行うので、ぜひご来場ください」と呼び掛けている。入場無料。 2012年11月8日付
山形県人会(押切フラビオ会長)主催の第9回山形民謡コンコールが、11日午前9時から午後4時ごろまで聖市リベルダーデ区の宮城県人会館(Rua Fagundes, 152)で開催される。 同大会は山形民謡だけを歌い、今年はパラナ州ロンドリーナなど遠方からも含めて約80人が出場する。また大会は年齢別の各カテゴリーで行われるほか、過去の同大会優勝者及び各民謡大会で伯国代表として日本の大会に出場した人などによる部門もあるという。 さらに、来年は山形県人会創立60周年記念行事の一環として同大会が10月下旬に開催され、日本から民謡使節団の来伯も予定されている。 そのほか今大会には、ゲスト出演として昼過ぎごろに舞踊・太鼓集団「優美&喜楽」と「レジストロ大和会」メンバーによる舞台も披露される。 案内に来社した篠原俊巳副会長、同大会実行委員長の塩野彰氏は「グランプリには(芸術家の)豊田豊氏のトロフィー、過去の大会出場の入賞者には豊田氏の版画が贈られます。当日の飛び入りも歓迎していますので」と来場を呼び掛けている。入場無料。 2012年11月7日付
県連(園田昭憲会長)は10月25日に開かれた10月度代表者会議で、文協ビル5階部分の正式な売買契約を援協(菊地義治会長)と結んだことを明らかにした。 県連は以前、事務所を文協ビル3階に構えていたが、手狭になっていた。そのため同ビル5階部分を買い取り、改装後「県連センター」として機能させることを、昨年1月の県連代表者会議で決定していた。 しかし、同ビル5階の所有権を持っていた援協と行政との間に税金納付などをめぐるトラブルが生じ、譲渡に必要な書類がそろわず、移転が難航していた。 今年2月に援協から無償貸与を受け、ひとまず県連事務所は5階に移転したものの、正式な売買契約は結んでいなかった。そのため、これまでは改装工事を行うことができず、フロアの半分しか使えない状態が続いていた。 県連側は書類がそろったことを受け、10月中に購入額47万レアルの半分にあたる23万5000レアルを双方合意の下に支払い、ようやく着工できる準備が整った。 内装の仮図面は既に出来上がっており、これによると約70人が収容できる大会議室をはじめ、台所や資料保管室などが設置される見通し。また、一部は各県人会に事務所として貸し出す予定で、現在事務所を持たない埼玉県人会などが入居を希望している。施設の外部貸し出しについても検討していく。 園田会長は同会議の中で「これで明日にでも着工できる」とした上で、「あくまでまだ図面は仮のものなので、今後皆さんから意見を頂きたい」と話した。 2012年11月6日付
ニッケイ新聞 2012年11月6日付け 第38回を数える県連故郷巡り一行は9月29日午前9時半、聖市のコンゴーニャス空港に集合してブラジリアへ向かった。たまたま隣に座った、いつもおしゃれな小原あやさん(91、岩手)=ボツカツ在住=に、さっそく旅の一番の楽しみは何かと問うと、「初めて行くマラニョンね。でもね、砂漠は見たいけど砂に触るのはイヤ」と初々しく即答してきた。 良家の子女の雰囲気を漂わし、上品でお淑やか、か弱そうにすら見える小原さんだが、実は戦前から日赤で看護婦をし、戦場から送られてくる腸チフス、結核などの伝染病患者を看ていた。実は性根が座っていて、自他ともに認める「気の大きさ」がある。「戦地に赴いた婚約者を10年以上待ったが帰ってこなかった」との言葉から、深い絶望が漂う。小原さんは思い切って構成家族という形を取って、56年に一人で渡伯した。父は小さい頃に死んだことから、女手一つで育ててくれた母には「移住の1カ月前に知らせた。でも許してくれた」とポツリ。小原さんの話を聞くにつれ、期せずしてテレビの大河ドラマでも見ているような気分になる。移民人生のドラマを謹んで鑑賞する――これが故郷巡り同行取材の醍醐味だと痛感する。 ☆    ☆ 逆側に座った藤川修子さん(よしこ、83、岡山)と雑談していたら、今度は「終戦直後47年から3年間、モジ市コクエイラ区のカザロン・デ・シャー(お茶屋敷)で働いていた」というので驚いた。連邦文化遺産にも指定された貴重な日系史跡であり、「木造のガウディー」を思わせる不思議な建築だ。「揮旗さんが日本から宮大工を呼んで作らせたの。『釘を一本も使ってない』って、支配人の浪江さんがいつも自慢していたわ。あの頃、2、30人働いていたかしら。実は降旗さん本人を見たことないけど、息子さんはサンパウロでオーケストラに入っているとかで、夕方にバイオリンを練習しによくカザロンに来ていたわ」とうっとりした表情で思い出す。茶摘み娘たちがせっせとお茶を揉んだり、袋につめたりする作業の手を休めた瞬間、夕陽のお茶畑を望むお茶屋敷の二階からは、ドーノの息子がバイオリンでクラシック音楽を練習する音が響く――という光景は、当時の文化村コクエイラを彷彿とさせるものだ。揮旗深志(ふりはた・ふかし、1891―1971年、長野)は北海道大学農科卒の当時としては珍しい農学士で、1926(大正16)年から月刊誌『農業のブラジル』(農事通信社)を堂々たる活字印刷で発行し、農業界を牽引した。コロニア雑誌としては最初の本格的な出版物であり、インテリ揮旗の息子らしい逸話だ。あのカザロンが〃生きていた〃頃を知る貴重な証言だと、思わず書き留めた。一行は124人もおり、飛行機はほぼ貸しきり状態だ。機内を見渡しながら、参加者一人一人が色々な物語を抱えているのだと襟を正した。 ☆    ☆ ブラジリア国際空港に到着すると、ロビーには柴田アゴスチーニョ空軍予備少将が出迎えに来ていた。将校自らで迎えるとは、どんなお偉いさんが到着したのかとキョロキョロしていたら、一行のレジストロ在住の松尾仁(ひとし)さんの出迎えだった。「わざわざ来てくれたんだ!」と喜ぶ松雄さんと抱き合っている。よく見れば柴田少将の頭にはスドエステ野球の帽子が。「50年前に聖南西野球大会で優勝した時の仲間なんだよ」と松尾さんは破顔一笑した。(つづく、深沢正雪記者) 写真=左から柴田予備空軍少将、右が松尾さん/小原あやさん/藤川修子さん   この連載はこちらでご覧になれます。http://www.nikkeyshimbun.com.br/2012/2012rensai-fukasawa9.html
ニッケイ新聞 2012年11月6日付け 聖南西のレジストロ文協(金子国栄会長、約280会員)主催の「第58回レジストロ灯籠流し」が1、2日の両日、市内を流れるリベイラ川沿いのプラッサ・ベイラ・リオで開催された。州内外からの多くのバスが会場を訪れ、近隣などからも過去最多の1万5千人が来場するなどの賑わいをみせた。「死者の日」(フィナードス)にあたる2日は終日曇り空で時々小雨に見舞われたが、2500基の灯籠が彩り鮮やかに川面を染める頃、雨はやんでいた。夜が深まるにつれリベイラ涼風太鼓、民謡大和会などによる余興、盆踊りで盛り上がり、会場は訪れた観客らで埋め尽くされた。 レジストロ灯篭流しは1955年、リベイラ川での水難犠牲者の霊を供養するため7基の灯籠を流したことが発端となり、現在まで続いている。同地文協、市、ブラジル日蓮宗、レジストロ・ベースボールクラブが共催で、地域の一般ブラジル人も多数動員する同市最大のイベントの一つとして定着した。広場ではヴァーレ・ド・リベイラ日系団体連合会(FENIVAR)やレジストロ文協、日語学校などが協力してヤキソバなどの日本食を販売。絶えることなく人が集まる盛況ぶりで、名物のマンジューバの刺身も午後8時頃には売り切れる人気だった。午後7時頃から「世界平和祈願並びに先没者慰霊」の法要が、日蓮宗、カトリック教会、西本願寺、生長の家、立正佼成会、大本教の合同で川岸の水難犠牲者追悼碑前で執り行われた。福嶌教輝在聖総領事、安部順二下議、サンドラ・ケネディ市長、近隣の文協代表や一般市民など約400人が焼香した。法要の最中からリベイラ川の清め式が始まり、鯉のぼりと色とりどりのすだれで飾られた船が川を上下し、太鼓を鳴らして祭りの開催を告げた。午後7時半頃から追悼碑のある前を灯籠が流れ始め、夕闇が迫る中、無数のほのかな光が川面を彩り、岸辺まで降りて魅了される人が続々と現れた。午後10時頃からは花火が打ち上げられ、盆踊りでは総領事や市長もまざって炭坑節を踊り、午後11時半頃まで盛り上がった。イベントの実行委員長も務めた金子会長は、「地元以外でも注目を集めてきている。初めて来た人はこんなに大規模だと思わなかったって喜んでいました」と嬉しそうに話した。灯籠流しに先立ち奉納相撲として2日午前中から午後にかけ、敷地内の土俵で相撲大会が行われた。オザスコ、サントアマーロ、イタペチニンガ、イビウーナなどから総勢約60人の力士たちが集い、地元レジストロの子供たちが数多く集まって大声援を上げる中、男女別、年齢別に分かれ白熱した試合が繰り広げられた。同地での相撲大会出場は3回目という山口潔士くん(12)、直毅くん(10)兄弟は柔道の稽古も受けており、ほとんどが非日系の選手の中で揃って優勝。母の弥生さん(38、二世)は、「家族で一緒に来られるので、いつも出るのを楽しみにしています」と笑顔を見せた。
ニッケイ新聞 2012年11月6日付け 兵庫県人会(尾西貞夫会長)が10月21日、恒例の「親睦ピクニック」を開催し、晴天に恵まれた中、バスで聖州イタペチニンガ市のフィッシング・パーク・アクアチコを訪れた。75歳以上の夫婦4組、92歳の秋村艶子さんなど高齢の会員も元気な姿を見せ、これまでで最多の70人が参加した。車内では小林咲子副会長が同パークや市の説明を行い、また元留学生や役員らが朝食で参加者をもてなした。参加者は早朝の眠気も吹き飛ばし、互いの再会を喜び会話に花を咲かせた。パークでは経営者・伊藤実さんの息子が出迎え、広いレストランや敷地内の設備を案内。また、「イトーグラス(芝)」グループの創始者でもある父・実さんが農業功労者として、山本喜誉司賞を受賞したことなどを紹介した。全員心行くまで広大な敷地を見学して回った後、魚釣りやマレット・ゴルフなどレジャーを楽しみ、昼食を食べながら交流を深め合った。帰路のバスの中では、長年会を支えてきた高齢会員が親睦ピクニックを喜ぶ声が聞かれた。またUCC上島珈琲、川崎重工、ハリマ化成からの差し入れもあった。一行は午後6時頃リベルダーデに到着、再会を約束し各自帰途に着いた。
ニッケイ新聞 2012年11月6日付け 青葉健康生活協会(中沢宏一会長)は恒例の『青葉祭り』を、17日午前7時から宮城県人会館(Rua Fagundes, 152)で開催する。農協婦人部連合会(ADESC)による有機野菜や味噌、漬物、菓子など手作り食品や薬草等販売のほか、家紋の無料調査・展示販売や池泉三郎さんによる餅つき、小児ゼンソク背骨矯正治療や整体、指圧も行われる。食堂メニューははらこ飯、さんま焼き定食、イカぽっぽ焼き定食など。問い合わせは同県人会(11・3209・3265)まで。
【東京支社=瀬頭明男】海外日系人大会出席のため来日中の山下譲二文協副会長夫妻、本橋幹久県連副会長、二宮正人サンパウロ総合大学教授4人が10月30日、首相官邸に藤村修官房長官を訪問、懇談した。懇談は首相官邸応接間で行われ、藤村長官が国会開会中で超多忙とあってわずか15分ぐらいで終わった。 懇談では本橋副会長がそれぞれ日本祭りや、東北被災地応援ツアーなどについて説明。官房長官は大震災では物心両面で応援をいただきありがたかった、と謝意を述べるとともに、被災地応援ツアーについて「被災地訪問とはいいことですね」と語った。 また山下副会長は、サンパウロ市が2020年の万博開催に名乗りを上げていることを伝え、「日本の文化紹介に最適の機会と思う。万博開催に向け日系社会も協力しており、ぜひ日本本国の応援もお願いしたい」と要請した。さらに、これからの日伯交流の活性化には欠かせないと、「日伯相互ビザ免除協定締結に向け、前向きな取り組みをしてほしい」とも要請した。これらの要請に官房長官は、「前向きに検討、実現するよう努力したい」と答えた。 2012年11月2日付
日系人の重国籍など宣言案発表 【東京支社=瀬頭明男】「共に歩もう日本再生の道―問われる海外日系社会の課題」をテーマに開催されている第53回海外日系人大会は10月31日、東京・市ヶ谷のJICA研究所で参加日系人の代表による代表者会議を開いた。同会議の最後に、会議で討論された内容を盛り込んだ大会宣言案が作成され発表された。宣言案には、日本文化の海外での普及に努力する決意表明、日系人の重国籍を日本政府が認めるよう求めた要望、1世の里帰り事業を始めた海外日系人協会への感謝などが盛り込まれた。同案は全体会議に提案、承認を得て初めて正式な大会宣言となるが、これまでの例でいけば修正動議などは出る可能性が低く、このまま認められることになりそうだ。 代表者会議の討論は、「日本文化と日系社会」「在日日系人」「日系ユース」の3分科会で行われ、各分科会で得られた宣言案をまとめて大会宣言案を作成した。 宣言は「日本文化と日系社会」分科会が、(1)日本文化の一層の普及と日本語教育の推進に努める(2)日系人の重国籍を認めるよう日本政府に求める(3)1世の里帰り事業を行う海外日系人協会に感謝する(4)海外移住資料館の運営の充実に期待、という4項目。 「在日日系人」分科会は、日本で活動する在日日系人への支援の継続の1項目を提案。また「日系ユース」分科会は居住国と日本の交流促進に務める、という1項目を大会宣言案として提出、その提案全部が盛り込まれ6項目の大会宣言となった。 この中でも特に参加者たちが重要視したのは「重国籍」の問題で、これを正式に日本政府が認めるかどうかが、今後の日系社会の浮沈にかかわってくるとしている。討論では、「日本国籍者が海外に増えることにつながり、海外日系社会の強化と日系人を有効に使った国際交流の実現につながる」との意見が出された。 ただ、参加者の多くは、実現までには道程は長いと考えている人が多く、日本国内でこうした海外日系人の考えを理解してくれる人が増えない限り無理だろう、と悲観的な見方をする人も多い。 また、参加者の中には「やっと獲得した在外選挙権も十分に活用されておらず、この低投票率(低い選挙人登録)では、日本政府もなかなか神輿(みこし)を上げてはくれまい。海外在住の日本人で選挙権のある人はとにかく選挙人登録をし、日系人の日本への関心の高さを知ってもらうことが先決」と指摘する人もいた。 2012年11月2日付
サンパウロ日伯援護協会(菊地義治会長)は10月27日、聖市リベルダーデ区の援協本部5階で第4回通常評議員会(大原毅会長)を開いた。会の冒頭、委任状の提出を含めて29人が出席したことが発表された。全評議員52人の半数を上回ったため、会議は有効となった。同会議では、先に開かれた定例理事会で承認を得ていた「2013年度事業計画案」と「13年度予算案」が読み上げられ承認されたほか、理事及び補充理事、正監査役及び監査役補のシャッパがそれぞれ承認され、菊地会長の続投が決定した。 あいさつに立った菊地会長は、サンミゲル・アルカンジョ市に建設中のSUS病院について「12月に落成式を行う。短期間で事業を推進できたことにお礼を申し上げます」と関係者に謝意を述べた。また、グアルーリョス市に新設を予定している特老施設の話題に触れ、「移住者が最期を過ごす介護病院」と紹介。さらに、援協の目指す方向性について「短期的には公益団体の認可取得、長期的にはPIPAの事業推進」と言及した。 続いて、佐々木弘一会計理事が「13年度事業計画案」と「13年度予算案」を読み上げ、承認を求めた。大原評議員会長が「反対の人は挙手を」と呼び掛けたが手を挙げる人は皆無で、両案はいずれも満場一致で承認された。 同事業計画案と予算案には、グアルーリョス市の施設に関する項目も含まれている。援協が次々に新事業を進めることについて、役員の中には「福祉団体の認可を取るための事業」と必要性を認めながらも、「無理してやらなくても」と警告を発する人もいた。 その後、選挙管理委員会(山内淳委員長)の主導で13、14年度の理事及び補充理事、正監査役及び監査役補の選出が行われた。理事と監査役でそれぞれ一つずつシャッパが提出され、いずれも承認を得た。 その後のあいさつで菊地会長は「援協は福祉団体として大きな社会的責任がある。基盤を守り、誠心誠意努力して参ります」と決意を語り、「次の選挙は次世代へのバトンタッチになる」と宣言し、次期限りでの退任をほのめかした。 同会議で承認されたシャッパの理事及び補充理事、正監査役及び監査役補は次の通り(敬称略)。【理事】菊地義治、毛利連、尾西貞夫、山下忠男、坂和三郎、与儀昭雄、園田昭憲、清水明、永山八郎、佐々木弘一、柴牟田寛、安次富ジョルジ、洲崎順、中田和男、井上健治、佐々木憲輔、盆子原国彦、安武誠、丸岡正秀、杉本教雄、税田清七、具志堅茂信、井上茂則、木原好規、辻雄三、高山ジェルソン、早川量通、山口正、山下治、壇定則。 【監査役】知念直義、小田セルジオ、石浜譲、藁谷美代、与座弘、前田徳栄。 2012年11月2日付
砂丘やジャングルの中を流れるプレギッサ川下りは10人程が乗れる、長さ8メートルのボートで河口までの約20キロを水面を跳ねるように下るもの。途中には約100年前に作られた小さな人工の運河や、ワニの出没スポットなども通り抜けた。 河口ではオフロードバイクの走行も楽しめ、幾人かの夫婦も仲むつまじく波打ち際を走っていた。また、カウボーイハットをかぶった園田昭憲会長も忙しい日常を忘れて一陣の風になっていた。 さて、県連ではふるさと巡りの拡大版として、日本の東北応援ツアーが11月4日まで行われている。旅行を通じて日本との懸け橋としても大きな役割を果たしている。また、それにだけにとどまらず、早くも次回のツアーの計画が立ち上がっており、来年3月下旬に実施する予定だ。南部の観光地、サンタ・カタリーナ州中心の旅程となり、移住地との交流ではサンジョアキンなどが候補に含まれているというから、ふるさと巡りファンならずともたまらない。 今回、首都のブラジリアと北東部のサンルイスとの交流が持て、次は南の大きな移住地が待っている。今、サンパウロだけにとどまらず、全伯の日本移民及び日系人とのネットワークが築かれようとしている。(おわり、植木修平記者) 2012年10月31日付
ニッケイ新聞 2012年10月30日付け 先週の県連の会議では、「フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)」という名前に、ブラジルの特許庁から商標登録の認可が下りたことが発表された。これにより、他団体が県連の許可なしにイベント名としてこの名前を使用することはできなくなった。約4年前から出していた申請が、今月になってやっと通ったのだとか。「独占とは心が狭い」と思いきや、役員らによればあくまで身を守るための措置だという。「他団体からの申し出があれば、当然無償で許可します」とのこと。
ニッケイ新聞 2012年10月30日付け 今年7月に行われた県連日本祭りの文芸コーナーで、「ブラジル日系文学」(武本憲二会長)が主催した俳句、短歌、俳諧のコンクールの選考結果が発表された。郵送も含めた応募数は俳句85句、短歌46首、俳諧は一般66句、子供16句だった。俳句・短歌部門から5人が入賞し、俳諧部門からは10人が「第5回増田恒河賞」に選ばれた。授賞式は12月9日午前11時からブラジル日本語センター(R. Manuel de Paiva, 45, Vila Mariana)である。選考結果は次の通り(敬称略)。【俳句・特選】星野瞳選 フリアージン樹冠に坐る月太し(岩坂保、聖市)栢野桂山選、富重久子選 たまゆらの翅を閉ざした冬の蝶(青木駿浪、ボツポランガ)間嶋稲花水選 孫が打つ和太鼓響く日本祭(宮原育子、アチバイア)【短歌・特選】梅崎嘉明選ばあちゃんに日本祭を見せたくて車椅子押す孫は四世(吉田志乃婦、聖市)藤田朝日子選郷土祭届け祖国の被災地にヨサコイソーラン太鼓の響き(西田はるの、聖市)【俳諧部門(ポ語、第5回増田恒河賞)】エジソン・ケンジ・イウラ、テルコ・オダ選一般の部=マルリ・バルドゥコ・パルマ(1位)、ネイデ・ロシャ・ポルトガル(2位)、マリレナ・ブデル(3位)、マルコ・アントニオ・ソアレス(4位)、ファブリシオ・モデスト(5位)子供の部=ジェシカ・ジャシント・ドス・サントス(1位)、ジオバニ・アヴィス・ダ・コスタ(2位)、ファブリシオ・ソアレス・ぺリコロ(3位)、ラリッサ・ダ・シルヴァ・リベイロ(4位)、ヘレン・S・リベイロ(5位)。
ブラジル鹿児島県人会(園田昭憲会長)の創立99周年記念式典及び敬老慰安会が14日午前中、聖市パカエンブー区にある同県人会館で行われた。 同式典は来年100周年を迎える同県人会の前年祭とも言える催しで、会場には75歳以上の高齢会員約20人を含む会員約80人が出席した。 敬老会では、同県人会最高齢でイビウーナ在住の寺前スミさん(101)をはじめとする75歳以上の81人の名前が読み上げられた。また、出席した高齢者らは花と紅白まんじゅうを記念品として受け取り、満足そうな様子だった。 園田会長は先人の偉業をたたえ、出席した高齢者に「これからも楽しんで長生きして下さい」と言葉を掛けた。また小森広相談役は「鹿児島精神を持って『チェスト(気合を入れる時に使う鹿児島の方言)行け』で頑張ってもらいたい」と激励していた。 杉尾コトさん(93、姶良市)は「来年の100周年記念式典が楽しみなので頑張って生きたい」と意気込み、貞純吉さん(82、鹿児島)も「100周年も元気で来ます」とはつらつと話した。 その後、祝賀会が開かれ、同県人会元会長の岡元要一さんの音頭で乾杯し、食後には99周年のケーキ入刀も行われた。 なお、同県人会の100周年記念式典は来年10月に開催される予定。 2012年10月30日付
 マラニョン州サンルイス市から約4時間、一行はバスに揺られバレリーニャス(レンソイス・マラニェンセス)に到着した。ふるさと巡りも4日目。これまで晴天に恵まれている。しかし、今年は同地は晴天に恵まれすぎて、大砂丘に神秘的な湖ができていないという。 残念で仕方ないが、なかなか個人では行くことができない大自然のツアーに、参加者のテンションは高まる。平均年齢70歳を超える一団が、四輪駆動 のTOYOTAの荷台に乗り込み、悪路にお尻を上下左右に揺らし、頭を天井に打ちつけながら13キロの砂漠を走り抜けた。今までのふるさと巡りにはない活 動的な体験だ。参加者は「今回の旅で一番の思い出は間違いなくこの凸凹だね」と笑いあっていた。 約1時間後、たどり着いた先には巨大な砂漠が広がり、参加者らはその美しさに息をのんだ。 水がないとはいえ、一面砂だらけという異様な環境に興奮したのか、走り回ったり、転げ落ちたりと皆一様にはしゃいでいる。砂漠という苛酷な環境な がら、シーツのように滑らかで美しい。水があったであろうと思われる谷の窪みには、うっすらと湿気を感じることができた。また、よく見ると小さな草が生え ている。砂漠の下には水が流れており、4日間雨が降り続くと、地下から水が現れるという。さらに、どこからか魚まで一緒に現れるというからなんとも不思議 な砂漠だ。 ただし、地球温暖化でジャングルが砂漠になっており、それが観光名所になっているのは何とも言いようがない。また、ブラジルで最も貧しい州がここ 20年で、バレリーニャスが世界的に有名な新たな観光地となり人々の生活を豊かにしているが、まだまだサンパウロと比べると極めて質素な生活をしている人 も見受けられた。 さて、ほとんどの参加者は水を見ないまでも、転げ回ったり、記念写真を撮影したりして満足していたが、はるか先に湖があるといううわさを耳にした 一部の参加者は極秘に湖まで向かったようで、後から、こっぴどく添乗員から説教されていたようだ。しかし、説教されてでも幻想的な湖を見られたことはうら やましい限り。この日は、耳や口の中まで砂だらけ。全員が疲れ果ててぐっすりと眠れたことだろう。 ところが、どんな砂漠の行軍だろうと、コロニアの高齢者の朝は早い。翌10月3日はレンソイス・マラニェンセスに続いて川下りだ。午前6時半に集 合と聞かされると、同6時にはほとんどの人が集まる。プレギッサの川下りを控えた朝、ホテルのロビーに集まった人たちからは「昨日は陸軍。今日は海軍」と...
昨年のフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)にブースを出した「大創産業」が、ついにサンパウロに店舗を構える。日本祭りに出店して以降、「いつどこ に1号店が開店するのか」「こんな商品を取り扱ってほしい」などといったうわさ話を各所で耳にしてきた。同社のウェブサイトによると29日現在、南米には 出店していないようだ。安さと豊富な品ぞろえが受けて日本で人気の「100円ショップ」だが、現地の貨幣価値で考えると決して安価ではない国もある。それ でも諸外国で受け入れられているのには、何かしら理由があるのだろう。さて、ブラジルではどんな反応が見られるのだろうか。 2012年10月30日付
ニッケイ新聞 2012年10月27日付け  渦中のロードレース、あえなく中止に――。25日にあったブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)の定例代表者会議で、今年7月に初開催され、 17万レ以上の赤字を計上していた『日伯ロードレース』の第2回以降の継続実施が、反対多数で否決された。およそ1時間の議論のほとんどが反対の声で占め られ、肯定的な意見は執行部役員側からの1件のみに留まった。これを受けて園田会長は、「県人会の役割とは何か、という原点に立ち返って考え、今後も一生 懸命頑張りたい」と締めくくった。  ロードレース開催の是非に関する議論は前回、うやむやのまま先送りにされていた。注目された今会議では、日本祭りの一環事業として開催し、経費 を25万レ、収益を30万レと見積もった予算案が提示された。執行部のあやふやな説明と肯定意見の弱さに、諸会長からは否定的な声が続出した。  口火を切ったのは押切フラビオ氏(山形)。「先月あった『日本祭の関連とするのにふさわしいだけの意義を持ったイベントなのか』という議論はどうなったのか」と疑問の声を上げた。  執行部の市川利雄氏(富山)は「日本移民の原点であり、多くの日系商店や施設が立地するリベルダーデをコースの中心とすることで、日系社会の歴史を訪ねる意義が出来る。それだけでも関連イベントとするだけの根拠となる」と反論したが、むしろ反対意見の呼び水となった。  大西博巳氏(広島)は「文化の紹介をするわけでもなく、大きなお金が入るわけでもない。県人会の役に立つことをするのが県連の役割。市川さん 言っていることは、はっきり言って何の関係もない」とばっさり。大幅な損失を出したにも関わらず、具体的な補填案や役員の入れ替えなどの対策を講じない執 行部に対しても、「普通の企業であれば裁判沙汰になってもおかしくない。現実的に考えてスポンサーが集まるとも思えない」と苦言を呈した。  谷広海氏(宮崎)も「身の程を弁えた事業規模とは思えない」、矢野敬崇氏(大分)は組織のあり方を衣類の繊維に喩え、「縦の糸(母県、日本との つながり)と横の糸(県人会同士のつながり)を強めるイベントこそ価値がある。どちらにも該当しないことをやる必要はない」と難色を示した。  挙手により取られた決では、賛成票0の圧倒的反対多数で否決された。園田会長は「原点に立ち返って考え、役員一同頑張っていく」と話すととも に、「事業の失敗の責任は私にあると感じているが、辞めるつもりは全くない。しっかりと責任を果たす」と続投の意思を明確に示し、議論の幕を閉じた。
ニッケイ新聞 2012年10月27日付け  県連会議後の懇親会で聞いたある役員の話によると、フェスティバルの入場者数や出展規模は毎年大きくなっているが、2010年度が約40万レ、 11年度が30万レと収益は反比例して少なくなっているのだとか。追加してかかる経費が、入場料収入や出展料の増加分を大きく上回ってしまうという。ちな みに今会議で発表された12年度の黒字額は何と4万レ強。「想定外の」ロードレース赤字分がなかったとしても約20万。毎年10万レ単位で目減りしている ことになるが、来年は果たして…。
マラニョン日伯文化連盟の山田清顧問は日本大学農学部を卒業後、1974年に全国拓植農業協同組合連合会によってブラジルへ移住し、ゴイアスにあった全寮制の農業高校に入学。語学と農業について学んだ。その後、フランス系の鉱山会社に就職。野菜を生産するための潅水設備の計画を依頼され、50町歩の潅水設備を4年かけて完成させた。 山田氏が日本を飛び出し、ブラジルに抱いた夢は「トランスアマゾン計画」に携わりたいというものだった。世界の食糧危機を救うであろう、アマゾンを開拓していく仕事にあこがれていた。結局、同計画に携わることはできなかったが、「このまま帰るわけにはいかない」と思いサンルイスで日系社会の手伝いを始めた。 山田氏は早速、文協設立の発起人となり、同地の日系社会をまとめていった。日本人が少ない分、「日本人だということを強く意識させられる」という。また、サンパウロで日本人だらけの町には住みたくないという気持ちも少なからずある。同地で日本語と少林寺拳法を教え続け、日本の精神をブラジル人にも伝えているそうだ。 夕食後、山田氏は一行を歓迎し、マラニョンの伝統芸能「ブンバ・メウ・ボイ」を行う地元のメンバーを呼び寄せ、ホテルの中庭で踊らせた。団員は色とりどりの衣装やカーニバルとはまた違うリズムに魅了され、露出の高い女性のダンスをカメラに収めていた。 「ブンバ・メウ・ボイ」は北部及び北東部ブラジルで行われる祭りで、大がかりな音楽パントマイムの形で行われている。 大きな音が鳴り響いている中でインタビューに答えてくれたのは、山田氏と一緒に日本語を日本語会館で教えている川岡ミリアさん(56)。川岡さんは聖州ツッパン市生まれの2世。85年の結婚をきっかけにサンルイスにやってきた。 昔は北部を日本人が歩くと珍しがられたという。10年ほど前からビルが増え、車も人も増えた。「だんだんとサンパウロと同じになってきている。私は昔の自転車だらけの町が好き」。そういうと川岡さんは少し寂しそうに笑った。管楽器と海からの風の音が強く鳴っていた。(つづく、植木修平記者) 2012年10月27日付