23/04/2026

Dia: 16 de abril de 2013

 工場見学を終えた後は、SANJOのリンゴ農園でわずかな間だが、リンゴ狩りを楽しんだ。この農園には10ヘクタール1万本のリンゴの木がある。日本とは異なり、一本一本を離さずに群生させて育てているのが特徴的だ。上部には、ひょう被害を防ぐネットがあるが、過去にひょうを防げず破れてしまったこともあるといい、当地のリンゴ栽培の難しさを思わせた。 農業を今も営む参加者の平谷勲さん(69、和歌山)は周辺の岩がごろごろとした寒冷な土地に目を向け、「気候だけはいいものの、土地はあまりリンゴには向かないように思える。よくここまで農場が大きくなったものだ」と感心していた。なお、今年のサンジョアキンのリンゴは出来はいいものの、玉が小さいという。  その後一行は、サンジョアキン文化体育協会会館へ向かった。そこには、同文協(降旗キヨシ会長)の会員らが、手作りの焼きそばを準備してくれていた。 同文協は現在61人の会員が所属し、その大半がSANJOで働いている人、もしくはその家族だ。花見会や運動会などのほか、年間4~5回焼きそば会を開き、毎回約300皿が売れるという。当地の焼きそばはあんかけ風で、野菜たっぷりほくほくなのがこの寒冷な気候に合う。  会館ではミサが行われた後、この焼きそばが会食として振る舞われた。コチア青年の第1回移民で渡伯したという荒木滋高さん(81、三重)は、「コチア青年は初めて会った人でも兄弟のように感じる。ここでもコチアの同胞たちがあんなに立派な工場まで建てていて我がことのようにうれしい」と感激した様子で、SANJO組合員らと話を弾ませていた。楽しい時はあっという間に過ぎ、気付けば時計の針も午後10時を回っていた。最後は荒木さん、小林誠さん(70、和歌山)、県連事務局の伊東信比古さん(69、大分)のハーモニカの伴奏により、会場全体で「ふるさと」を合唱。住む場所や世代は違えど、同じ心の古里を持つ日系人としての絆の強さをしみじみと感じさせられた。  翌朝は冷え込みが厳しく、気温も10度を下回った。街路樹も色付き始めており、旅の疲れもあって記者には布団から出るのが辛かったが、午前7時半の集合にはさすが元気なコロニアの年配方、ほとんどの人が間に合っていた。その後、1号車の人々はホテル近くにあるマトリス教会(Igreja Matriz)を見学した。 ここにはサンジョアキンの石を用いた女神像や天使像、心臓の像などが置いてあった。また、近くの広場や市議会にも石像があったが、これらはすべて故人の大槻エルソン氏(3世)の作品だ。息子のアンデルソン氏の話によると、大槻氏は1972年にリンゴ栽培のために当地に入植し、ある日、家の台所からサンジョアキンに多く転がる石を見て、石像を作ることを思い付いたという。  以来、2回市議会議員を務めるなどしながらも創作を続け、2000年に州議会議員選挙に敗れてからは創作により力を注ぐようになった。大槻氏は07年に逝去するまでに約700点もの像を手がけ、これらの作品はブラジルのみならず世界中で展示されているという。 秋模様の広場で大槻氏の石像に見入っていると、ブラジル人の清掃夫が話しかけてきた。彼は「これらの石像はサンジョアキンのシンボル。ここの人間は皆ジャポネースに感謝しているよ」と誇らしげに胸を張った。(つづく、毛利健人記者) 2013年4月16日付
 10日よりサンパウロ(聖市)入りしていた若林健太外務大臣政務官(49、自民党、長野選出参議院議員)の歓迎懇談会が、11日午後7時50分から日系34団体の共催により、サンパウロ市リベルダーデ区の文協ビル2階貴賓室で行われ、約150人が出席した。 壇上には若林政務官をはじめ、木多喜八郎文協会長、菊地義治援協会長、園田昭憲県連会長、羽藤ジョージ・サンパウロ州議員、福嶌教輝在サンパウロ総領事などが登壇した。 出席者の紹介の後、木多文協会長は「若林政務官の訪伯を日系社会の代表が総出で出迎えることができ、日伯の絆はより強くなった。サンパウロへようこそお越しいただきました」と歓迎の辞を述べた。  次に若林政務官があいさつに立ち、「2008年には農水相だった父もブラジルを訪れ、当地の日系社会から手厚い歓迎を受けたと聞いており、かねがねブラジルにはぜひ来たいと思っていた。今回、念願かなってブラジルの地を踏むことができとてもうれしい。当地での日本の外交と日系企業の進出は、移住した先輩方が苦労して築いた信頼の土台の上に成り立っている。その貢献に心から敬意を表します」とスピーチを行い、会場から盛大な拍手を受けた。 その後、菊地援協会長が乾杯の音頭を取り、懇談会では若林政務官の前にあいさつを求める人の列が続いた。 2013年4月16日付
 イタジャイに1泊した後、一行はサンジョアキンへの旅路に就いた。1号車のバスの中ではいつの間にか1人の客がピアーダを皆の前で披露し、バス内をわかせていた。マイクを握るのは、今回で27回目の参加となる清水秀英さん(78、愛知)だ。「色々なことを調べるのが好きで、つい皆に教えたくなってしまう」と語る清水さんは、その後クイズ大会を開き、ともすれば退屈になりがちなバス移動で皆を楽しませていた。 サンジョアキンに着くと、辺りは荒涼とした丘陵が広がっていた。サンジョアキン市は人口約2万5000人の小さな街だ。標高が1300メートル程あるため冷え込み、上着を着込むようガイドからの指示があった。レストランで昼食を取った一行はその後、SANJO(サンジョアキン農業組合)の工場へ向かった。  SANJOはコチア産業組合が1994年に解散した後、組合員たちが自ら出資し作られた農業組合だ。名前はサンジョアキンの略称に由来し、現在は78人(うち3人が非日系)の組合員がいる。当日は日曜のため工場は稼働していなかったが、一行のために工場を特別に開けてもらえた。衛生管理のために着せられた白衣に、「まるで原発のように厳重だ」などと少しざわめきながらも、皆ガイドの説明一言一句に耳を傾けていた。 中でも圧巻だったのは、2010年から稼働したワイン用の新工場だ。1基にワイン500本が入るというコンテナがたくさん積まれた冷暗室にはワインの甘い香りがほのかに漂い、一行の購買意欲をこれでもかというほどに高めていた。もちろん記者もたまらず1本購入した。 02年から始まったSANJOのワイン作り、現在では年間5~6万本出荷している。ブラジルワインは概して白ワインより赤ワインの方が国際的に評価を得ることが多かったが、当地の寒冷な気候は特に白ワイン用のシャルドネ種(Saviao branque)栽培に適しており、数々のコンクールでも受賞するなど高い評価を得ているという。  しかし、SANJO理事の飯田義孝パウロさん(57、2世)の話では、「ワインの出荷量は年々少しずつ伸びているものの、ブランド力が必要な市場なので輸入品が強く、まだ黒字事業にはなっていない」状態だという。一方のリンゴは20年前から3万トン伸び、現在年間4万2000トンを出荷するなど好調だ。 現SANJO組合長を務める清水信良さん(51、東京)は「3年前から婦人部が始めたリンゴジュースは順調なので、そういった加工品にも力を注いでいく。リンゴの貯蔵庫も増やしていきたい。しかしリンゴばかりに頼るわけにはいかず、ワインは今後も根気強く続けていく。今年はSANJO設立20周年の記念年なので、大いに盛り上げていきたい」と今後の抱負を話した。(つづく、毛利健人記者) 2013年4月13日付
ニッケイ新聞 2013年4月12日  サンジョ組合の新商品Sanditoの100%生リンゴジュースは特に「味が濃い」と好評で、150グラム当たり10個のリンゴが入っているというから当然だ。でもいくら良い製品を作っても販売手腕が物を言うのが、商売の世界だ。  そして、うまい話にもちろんタダはない。元々その年の気候に強く左右され、競争が激しいから利益率も高くない。その中で売り上げの2%をロイヤリティとしてディズニーに収めなければならず、清水信良組合長も「ほんと高いよね」と痛し痒しといった様子だ。  夜10時頃、交流会の最後は、荒木滋高さん(しげたか、80、三重)=ブラジリア在住=のハーモニカに合わせて、全員で恒例の「ふるさと」を大合唱し、握手で別れを惜しんだ。 ◎   ◎  一行は午前8時過ぎ、カウダス・ダ・インペラトリスの温泉ホテルに向かう途中、断崖絶壁の景色で有名なアウミランテに立ち寄ってから、同リゾートホテルに泊まった。  到着直後、参加者の四條幹さんの体調が悪くなり、添乗員が強く薦めて緊急入院する一幕もあった。娘が医師の関係で、同病院の担当医と娘が直接に連絡を取り合い、研究検査後に聖市に運ばれることになったという。  天理教の伝道師をする西沢定子(さだこ)さん(83、三重)はもう10回以上このツアーに参加している。「目が悪いから風景とか全然見えないんだけど、皆さんとしゃべるのが楽しみ。出身県を聞いてそこの民謡を歌うと皆さん喜んでくれるの。知り合いになるのが生きがい。私は115歳まで生きるのが予定」と一気にまくし立てた。  一方、コチア青年の森本勝一(77、高知)、美栄子さん(75、二世)夫妻=サンロレンソ・ダ・セーラ在住=は参加者名簿に、1960年にスザノ市の同じ「日の出植民地」に入った小池みさ子さんの名があるのに気づき、添乗員に紹介してもらい約50年ぶりの再会を果たした。  森本さんは顔を見てすぐに分かったが、小池さんの方はポカンとしていたので、「あんたボケたんか」というと、彼女は「あっ!」と分かったという。  森本さんは「あの頃はご飯とフェイジョン、たまにイワシの塩漬けが普通の食事。パトロンも同じものを食っていた。モルタデーラとガラナがご馳走だったな」と懐かしむと、小池さんは「みんなでバタタを植える作業をして、その後、ご馳走がでるのが楽しみだったわね」と相槌をうった。  小池さんはその時の情景をこう詠んだ。 《とっさには思い出(い)だせず移住初期つき合いし人に出遇うも》 こんな短歌が生まれるのも旅の醍醐味だ。  最後の夕食となった26日晩、本橋幹久団長は皆を前に「これで主な集団地は一通り回った。次回からは今まで回ったところを2度目、3度目に訪ねることになる」と挨拶した。  一行の神林義明さん(76、長野)は「実はサンジョアキンに入植しようと思ったこともあった」と明かす。「だって兄がリンゴ作りをやっていたし、後沢先生は長野県の須坂園芸場長をされていたから、日本にいた頃から面識があった。心が動いたね。でも子供が小さかったし、リンゴの苗を植えてから4年間も無収入だって聞いたから泣く泣く諦めた」としみじみ語った。  翌日朝8時過ぎに出発して一路聖市を目指した。参加者はそれぞれが感じた感慨を胸に、午後10時過ぎにリベルダーデ広場で解散した。  (終わり、深沢正雪記者)
ニッケイ新聞 2013年4月12日  静岡県人会の名誉会長だった鈴木静馬さんが7日午後8時過ぎ、心疾患で1年ほど入退院を繰り返した後、自宅で逝去した。翌日午後、イビウーナ市のパス墓地に埋葬された。享年81。  1932年静岡県袋井市生まれ。58年に自由渡航で渡伯し、洗濯屋の下働き、自動車の修理見習いなど様々な職を経て、イビウーナ市の斉藤養鶏場の幸子さんと結婚、経営に携わった。  県人会会長を1995年から計9年間務め、05年には、自身の出身校静岡県立磐田農業高等学校による「ブラジル生徒派遣交流事業」の実現に尽力、事業は今も続けられている。  聖南西文化体育連盟の会長も務めた。文化功労章(世界平和科学貢献紋章院)、コメンダドール章、グランクルース章。  初七日法要は13日午後3時から、佛心寺(Rua Sao Joaquim 285, Liberdade)で執り行われる。