工場見学を終えた後は、SANJOのリンゴ農園でわずかな間だが、リンゴ狩りを楽しんだ。この農園には10ヘクタール1万本のリンゴの木がある。日本とは異なり、一本一本を離さずに群生させて育てているのが特徴的だ。上部には、ひょう被害を防ぐネットがあるが、過去にひょうを防げず破れてしまったこともあるといい、当地のリンゴ栽培の難しさを思わせた。
農業を今も営む参加者の平谷勲さん(69、和歌山)は周辺の岩がごろごろとした寒冷な土地に目を向け、「気候だけはいいものの、土地はあまりリンゴには向かないように思える。よくここまで農場が大きくなったものだ」と感心していた。なお、今年のサンジョアキンのリンゴは出来はいいものの、玉が小さいという。
その後一行は、サンジョアキン文化体育協会会館へ向かった。そこには、同文協(降旗キヨシ会長)の会員らが、手作りの焼きそばを準備してくれていた。
同文協は現在61人の会員が所属し、その大半がSANJOで働いている人、もしくはその家族だ。花見会や運動会などのほか、年間4~5回焼きそば会を開き、毎回約300皿が売れるという。当地の焼きそばはあんかけ風で、野菜たっぷりほくほくなのがこの寒冷な気候に合う。
会館ではミサが行われた後、この焼きそばが会食として振る舞われた。コチア青年の第1回移民で渡伯したという荒木滋高さん(81、三重)は、「コチア青年は初めて会った人でも兄弟のように感じる。ここでもコチアの同胞たちがあんなに立派な工場まで建てていて我がことのようにうれしい」と感激した様子で、SANJO組合員らと話を弾ませていた。楽しい時はあっという間に過ぎ、気付けば時計の針も午後10時を回っていた。最後は荒木さん、小林誠さん(70、和歌山)、県連事務局の伊東信比古さん(69、大分)のハーモニカの伴奏により、会場全体で「ふるさと」を合唱。住む場所や世代は違えど、同じ心の古里を持つ日系人としての絆の強さをしみじみと感じさせられた。
翌朝は冷え込みが厳しく、気温も10度を下回った。街路樹も色付き始めており、旅の疲れもあって記者には布団から出るのが辛かったが、午前7時半の集合にはさすが元気なコロニアの年配方、ほとんどの人が間に合っていた。その後、1号車の人々はホテル近くにあるマトリス教会(Igreja Matriz)を見学した。
ここにはサンジョアキンの石を用いた女神像や天使像、心臓の像などが置いてあった。また、近くの広場や市議会にも石像があったが、これらはすべて故人の大槻エルソン氏(3世)の作品だ。息子のアンデルソン氏の話によると、大槻氏は1972年にリンゴ栽培のために当地に入植し、ある日、家の台所からサンジョアキンに多く転がる石を見て、石像を作ることを思い付いたという。
以来、2回市議会議員を務めるなどしながらも創作を続け、2000年に州議会議員選挙に敗れてからは創作により力を注ぐようになった。大槻氏は07年に逝去するまでに約700点もの像を手がけ、これらの作品はブラジルのみならず世界中で展示されているという。
秋模様の広場で大槻氏の石像に見入っていると、ブラジル人の清掃夫が話しかけてきた。彼は「これらの石像はサンジョアキンのシンボル。ここの人間は皆ジャポネースに感謝しているよ」と誇らしげに胸を張った。(つづく、毛利健人記者)
2013年4月16日付
