06/03/2026

Mês: dezembro 2012

支出詳細なしで疑問の声続出本橋議長が次会議で発表を約束  県連(園田昭憲会長)は13日、12月度代表者会議を聖市ビラ・マリアーナ区の栃木県人会館で行った。脳からの出血で今週初めから入院していた園田会長、司会を務める山田康夫第2会計が欠席したため、本橋幹久副会長が代理で議長及び司会を務めた。第15回フェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)の決算報告では、肝心の第1回ロードレースの支出詳細が示されていなかったことから、複数の県人会会長らから疑問の声が上がった。  今回の会議では第15回日本祭りの決算報告が行われ、前回の11月度代表者会議で山田第2会計が明言した通り、支出の詳細内訳が出された。しかし第1回ロードレースについては、支出21万5547レアルとひとくくりに計上されただけで、先月までの同会議同様に内訳は示されなかった。  これに対し各県人会長らが疑問の声を上げた。口火を切ったのは、大矢進貞神奈川県人会副会長だった。大矢副会長は「ロードレースは、県連はどこかに名前を貸すだけだったはず。収入内訳が明かせないのは分かるが、支出内訳を明かせないのはおかしい。この21万5000レアルが一体どこに消えたのか、説明さえあれば皆納得する」と話した。また、大西博己広島県人会長も「私も名前だけ貸してお金はかからないと聞いていた。各県人会も県連にお金を出している以上、支出は説明の必要がある。場合によってはロードレースの企画会社に対し、裁判も辞さない態度を取るべきだ」と同調した。  これに対し、前田ネルソン実行委員長は「ロードレースはきちんと代表者会議で決を取り、皆さんの賛成を得た上で行われたものだ。また、詳細内訳は今手元に用意していないが、事務所に来ればきちんと説明できる」と反論。一時は大西、前田両氏が立ち上がり、感情的に舌戦を繰り広げる場面もあった。  最終的に押切フラビオ山形県人会会長から「来年度のロードレースは行われないのだから、本件については、きちんと内訳さえ出してもらえれば皆納得する」との意見が挙がり、本橋副会長も「議長として、来月度代表者会議できちんとロードレースの支出内訳をお見せする。それで本件は終わりにしましょう」とまとめた。  その後、県連基金委員会の小山田祥雄委員長から、静岡県人会55周年記念史の発刊に対して同基金から1300レアルが承認されたこと、また今年度組み立てた同基金の申請締め切りが12月までだったのが、来年3月までに延長されたことが発表された。 同会議終了後は忘年会が催され、県連関係者ら多くの人でにぎわった。 2012年12月15日付
来年3月か、7月の日本祭りに予定  ブラジル都道府県人会連合会(園田昭憲会長)主催の「東北被災地応援ツアー」の報告会が、12日午後2時から聖市リベルダーデ区の文協ビル会議室で開かれた。同会には県連の山田康夫副会長、文協の山下譲二副会長、岩手県人会の千田曠曉会長、福島県人会の小島友四郎会長、5人の同ツアー団員などが出席。同会では、ツアーで団長を務めた本橋幹久団長によるスライドを使った報告や参加者のツアーの感想発表などが行われた。  「最高に良いツアーだったと思う。最初の被災地にバスで行く際、バスガイドの一言目が『遠いブラジルからお越しいただいてありがとうございます』と言われて非常にうれしかった」と同ツアーの副団長を務めた小島会長は率直な感想を披露した。  続いて、本橋団長がスライドで写真を紹介しながら、被災地の現在の状況や印象に残っていることを説明。世界最大水深(最大水深63メートル)の防波堤だった釜石港湾口防波堤が津波が引いていく水力で湾の内側ではなく外側に倒れたこと、陸前高田市役所庁舎で2階に非難した人は助からず、屋上にいた人だけが生き残ったことや、仙台空港は高さ3・02メートルまで浸水した話などを紹介した。  また、いわき市久之浜町浜風商店街では店舗を運営する住民との交流も行われた。仮設住宅でできた商店街では、できるだけ被災した時のことを知ってもらいたいという思いで店内には震災時の写真や資料を展示している店もあったという。本橋団長によると、同商店街の人たちは影を感じさせず明るく振る舞っていたという。  同ツアーの3週間前に自身で被災地を訪れた千田会長は「がれきの町を見て何も言葉が出なかった。復興には長い年月がかかると思うが必ず復興すると思っています」と力を込めて話した。  宮城県内の実家が半壊、妹の家が全壊したという後藤信子さん(70、宮城)は「実際に被災地を訪れ、テレビで見た以上に大変な状況だと感じた。しかし、今回ツアーに参加して少し安堵(あんど)しました」と複雑な心境を語った。  大和司さん(87、徳島)は「復興が遅れているような気がした。日本は経済大国なのに」と失望した様子だった。 同ツアーに同行したガイドによると、今年9月に被災地に下見で訪れた時と2カ月経過した同ツアーで訪問した時と何も状況は変わっていなかったという。  なお、本橋団長によれば来年度の同ツアーの実施は未定。 同ツアーで被災地3県を訪問した際に提案された「東北被災者招へい交流事業(仮称)」では、来年3月11日か、日本祭りが開催される7月19日ごろに各県1人ずつ招へいするという。  招いた若者には被災県の被災者がどのように2年間過ごし、何を考えてきたのかをブラジルの若者たちの前で講演してもらい、同時に実施する復興写真展で被災地の現状をブラジル人に理解してもらう計画だ。  同事業は日系3団体共催で、予算は主に義援金の残りの「SOSジャパン」で賄うとし、不足した経費は県連の交流基金や岩手、宮城、福島県の各県人会で補っていくという。  現在、同事業に前向きな被災地3県の返事を待っている状況で、今後岩手、宮城、福島県の各県人会長が現在の進ちょく状況を確認して具体的な計画を詰めていく。 2012年12月14日付
 ブラジル南さつまふるさと会(村上順次会長)は、2日午後2時から聖州イタペセリカ・ダ・セーラ市内の日本人会館で第2回ビンゴ大会を開いた。  ブラジル南さつまふるさと会は鹿児島県南さつま市にゆかりのある人の会で、村上会長によると会員は現在、約200家族約800人が在籍するという。ほとんどの会員は同市に住んでいる。南さつま市は2005年に加世田市と4町が合併して誕生。一昨年に開催された同市の5周年式典には同会から慶祝団として約10人が訪日するなどと交流している。  同ビンゴ大会は来年鹿児島県人会創立100周年を迎えるにあたり、南さつま市から来伯する慶祝団の歓迎会の資金を作るために実施され、計3回行われる計画。今大会はふるさと会員を中心に約350人が集まり、盛り上がりを見せた。  なお、第1回目は今年6月に聖州ダボン・ダ・セーラ市内のピラジュサラ文化体育協会会館で行われ、約300人が来場した。第3回目は来年4月か5月に聖市サント・アマーロ区のカーザ・グランデ農村協会会館で開かれる予定。村上会長によると同大会が2回目を終えた現在、順調に資金集めができているという。 村上会長は「南さつま市から来る慶祝団に喜んでもらいたい」と意気込みを話した。  鮫島義隆同会相談役は「慶祝団と南さつまふるさと会の交流を通して、2世の人に南さつまふるさと会に関心を持つきっかけになってほしい」と力を込めて語った。  しかし、鮫島相談役によると来年11月に南さつま市の市長選挙が行われるため、10月20日に開催される予定の鹿児島県人会創立100周年記念式典には慶祝団がほとんど来れない可能性があるという。同相談役は「8月だったら市長も含め約30人の慶祝団が来れたのに」と嘆いていた。  鹿児島県人会の平井真理子事務局長にによると、もともと同式典は8月に開催されるという話もあったが、最終的に鹿児島県庁の都合で10月に決まったという。 一方、村上会長は「ふるさと会の親戚の方を含め約30人ぐらい来るのでは」と前向きな姿勢を示していた。 2012年12月14日付
 【既報関連】ブラジル都道府県人会連合会(園田昭憲会長)主催の「東北被災地応援ツアー」が10月14日から11月4日まで行われ、引率の本橋幹久団長を含む17人が岩手、宮城、福島の被災3県などを訪問したことは既報の通り。同ツアーに参加した人たちに生の感想を聞いてみた。  熊野重子さん(75、香川)は、震災前の一昨年に東北3大祭りを訪れた。その際に東北の人が優しく出迎えてくれたことを思い出し、今回のツアーの参加に踏み切ったという。  熊野さんは「実際に被災地を訪れましたが、そこに家があったという想像ができませんでした」と悲しそうに話す。一方、福島県いわき市を訪れた際に津波で流され仮設住宅に住む老婦人に出会ったことに触れ、その女性が洋服屋を営んでいる姿を見て、元気をもらったという。  「自分の故郷だが、震災後は個人では行けなかった。被災者に何と声を掛けたらよいか分からなかったので」と語るのは岩手県北上市出身の田鎖満さん(75)。田鎖さんは同ツアーのお陰で、被災地に行く決心ができたという。  田鎖さんは「被災者の多くの方は苦しいけれど、隣の人はそれ以上に苦しんでいるから自分は泣いてられないという思いで頑張っている」と話した。  また、福島県いわき市の仮設住宅では全般的に物が不足しており、商工会議所の職員などが団結して物資調達に励んでいたという。さらに同氏は、仮設住宅の一部は山の斜面に点々としており、周りには店もなく非常に厳しい環境で生活を余儀なくされている被災者もいると説明した。  田鎖さんは岩手県釜石市のホテルに宿泊した時、満潮時に地盤が沈下した土地に海水が流れ込み水田のように海水が広がった状況を目の当たりにした。それを見た同氏は「震災前の町を復興させることは想像以上に大変だと思った」と述べた。 2012年12月14日付
ニッケイ新聞 2012年12月15日付け  ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)主催で10月中旬~11月初旬にかけて行われた『東北被災地応援ツアー』(本橋幹久団長)の帰国報告会が12日、文協ビル会議室でツアー参加者5人に関係者を加えた約10人が出席する中行われた。  本橋団長から、訪問した被災地の写真や10月末にあった海外日系人大会の様子などが報告されたものの、〃目玉企画〃と目され、被災3県庁に呼びかけが行われた『東北被災者招聘交流事業』(11月27日付本紙で既報)のに関しては「県側からの具体的な連絡はまだない」と全く進んでいない状況のようだ。今後は3県人会を通して県庁と連絡をとっていくという。  招聘の時期は、震災が起こった3月11日を中心としたものと、7月19日から3日間かけて行われる日本祭りを軸にした日程の二通りが候補として挙がっており、被災青年らには、震災後の2年間に何を考え、今後にどんな展望をもっているかなどの体験発表を行ってもらう予定。来伯に合わせる形で、復興写真展の開催も視野に入れる。  報告プレゼンの後、ツアー参加者らからは被災地訪問の感想が発表された。「妹の住む家は全壊し、生家も半壊するほどの被害を受けた」という後藤信子さん(70、宮城)は「私の故郷含め、被災地は2年たった今でも想像以上に厳しい状況だと感じさせられた。それでも必死に頑張って前向きに生きている被災者の方々を見て、少し安堵の気持ちも沸きました」と声を詰まらせていた。
ニッケイ新聞 2012年12月12日付け  聖州ミランドーポリスの第二アリアンサ鳥取村で、かつて移民収容所があった場所に「村の開拓者子孫公園」という名の公園を造る計画が進められている。 収容所には、初代現地理事として赴任した橋浦昌雄氏のもと、原始林の中に入植した移住者が自分の家ができるまで住んでいた。その開拓者の軌跡の始まりともいえる地点を、開拓者子孫公園と名づけて残していきたい考えだ。  これまではブラジル人が住んでいたが、退去することになり自治会長の佐藤勲さんが土地を買い取った。今後は有志を募り、敷地の50平米以上の単位で買い取りを呼びかけるという。 佐藤さんは、「言い伝えや書き残しだけでは、いつかは消えると思う。村を作った人の気持ち、村の発展に尽力した先人の気持ち、努力して作った村を残し、その思いを子孫につなげたい」と目的を語る。  収容所があったそばには、組合の従業員が住んでいた古い家が現存しているため、その家を修復して記念館にする計画もあるという。  
ニッケイ新聞 2012年12月11日付け  先月18日にあった鳥取県人会創立60周年記念式典の折に来伯した鳥取県からの慶祝訪問団の10人が翌19日、ミランドーポリス郡の第二アリアンサ鳥取村を訪問した。  一行は同郡役所、大森農場、村の歴史的なものを収集している自治会長の佐藤勲さん宅、中尾養鶏場、「開拓者子孫公園」にする計画がある第二アリアンサ開拓当初にあった収容所の地点、日本語学校などを訪れた。  夜は村民一同が集まり歓迎会を開いた。佐藤会長、伊藤美都夫県会議長、藤井喜臣副知事、野坂康夫米子市長、ジョゼ・アントニオ・ロドリゲス郡長などから挨拶、歓迎の言葉がのべられ、記念品の贈呈や訪問団の自己紹介があった。  日本語学校の生徒も歌やしゃんしゃん傘踊りなどを披露し、最後に全員で「ふるさと」を斉唱して終了した。  現在同地には10代目日本語教師の藤山馨さんが着任しており、母県との交流が続けられている。
 【既報関連】鳥取県人会(本橋幹久会長)創立60周年記念祭式典が11月18日に開催され、鳥取県から藤井喜臣副知事をはじめ、二十数人の慶祝団が出席した。慶祝団の約10人は、翌19日に聖州ミランドポリス管内の第2アリアンサ鳥取村(佐藤勲自治会長)を訪問した。  一行は、ミランドポリス郡役所、大森農場、村の歴史的事物を集めている佐藤氏宅や中尾養鶏家などを訪れた。また、第2アリアンサ開拓当初にあった収容所地点を「開拓者子孫公園」とする計画が進んでおり、同地で記念撮影。その後、日本語学校教室へ移動し、鳥取県教育委員会教育次長である生田文子氏による授業が行われた。  同夜は村民一同が集まり、訪問団一行の歓迎会を開催。細田英夫副会長の司会により、佐藤会長、伊藤美都夫鳥取県会議長、藤井副知事、野坂康夫米子市長、ジョゼ・アントニオ・ロドリゲス・ミランドポリス郡長がそれぞれ祝辞を述べた。  記念品贈呈、訪問団自己紹介に続いて、日本語学校及び幼稚園生徒の自己紹介、歌、暗唱、シャンシャン傘踊りなどの発表の後、最後は全員でふるさとを合唱して締めくくった。  翌20日は早朝に弓場農場を訪問した。 鳥取村には母県からの教師派遣が始まってから現在、10代目の藤山馨氏が着任している。佐藤会長は「日本からの教師に日本語を教えてもらうだけでなく、母県との交流がさらに継続できるよう、今後も教師派遣をぜひ続けていただきたい」と要望している。   2012年12月13日付
第8回日伯合同記念絵画展  岐阜県人会(山田彦次会長)主催の「日伯合同記念絵画展」が、11日から聖市内ベラ・ビスタ区の在聖総領事館(Av.Paulista, 854)3階多目的ホールで開かれている。  開催に先立ち、10日午後5時半から開会式が行われ、福嶌教輝総領事、山田会長、出展者など約70人が集い、絵画を通して日伯の親交を深めた。  絵画展は今年で第8回。同県人会が画家に作品を発表する場を設けると同時に、日系・非日系の画家が合同で作品を出展し交流を深めることを目的とし、2005年から始まった。  開会式で山田会長は「8回も続くとは思っていなかった。日伯両国の出品者が何を考えて絵を描いたか、その背景にも目を向けてもらえれば」と展覧会の意義を話した。  その後、福嶌総領事と山田会長によるテープカットが行われ、来場者は会場で22人の画家による約40点の作品を鑑賞した。 油絵が趣味だという福嶌総領事は展覧会について「日伯交流が生まれて大変意義がある。どれも素晴らしい作品だ」と話したが、「来年度はぜひ、出品してみては」との質問については、「(私の絵は)そういったレベルにはないので」と謙遜(けんそん)した。  また山田会長は、来年岐阜県人移住100周年、県人会創立75周年を迎えることから、今年を助走期間の年だと位置付けているが、式典などについては「各県人会の活動意義が問われている中、(100周年を)どのような形で迎えるのが最も良いか、しっかりと考えなくてはならない」と述べた。 同展会期は11~21日午前10時から午後5時半(21日は同3時まで)。入場無料。 2012年12月12日付
日系コミュニティーの場として設立  【バイア州サルバドール市発・川口裕貴記者】11月初旬、バイア州を訪問した際、サルバドール日伯文化協会、バイア日伯文協連合会、日系コロニアのJK(ジョタカ)移住地を取材した。3カ所の各代表に今の状況と今後の目標について話を聞くと、聖州付近のコロニアとは違った現状があることが分かった。その内容を3回連載で紹介する。  サルバドール日伯文化協会の水島藤男会長(58、2世)に現在の同文協の状況、今後について聞いた。 同文協は1975年に設立されたバイア州内では一番大きい文協だ。現在会員は約120家族200人で、同会員のほとんどが同市の工場に勤務、または自営業者となっている。  設立当時から現在も日本人が少ない同市に「日系コミュニティーの場」としてできた協会だ。同文協設立から数年後、同市内にある会館には日本語学校も開校された。92年からはJICAのモデル校となり、現在は100人前後の生徒が主に週末授業を受けている。  会長になって8年目の水島会長。「協会の一番の催しごとは」の質問に対して真っ先に「日本祭り」と返答した。 同市内のブラジル銀行が管理する広場で開催される「サルバドール日本祭り」は、今年で6回目。8月25、26日に開催され、約3万人が来場したという。以前まで「盆踊り祭り」として同協会設立年から催していたが、日本文化を一層普及させたいという水島会長の思いから規模拡大に至った。  しかし、いきなり拡大したわけではなく、経験を踏まえて年々大きくして現在の規模に至る。またアイデアを得るために、聖市の県連(園田昭憲会長)主催日本祭りを参考にしたという。  県連主催日本祭りの視察は毎年欠かさず行っており、その際興味を持った団体・個人をサルバドールへ招待している。今年は広島県人会の神楽(かぐら)を招待して好評を得た。  水島会長はそうした視察を踏まえて、聖市とサルバドール市の日本祭りの違いを「こっち(サルバドール)は圧倒的に日系人が少ない。来場する9割が非日系人だ」と説明する。そうした非日系人のために、祭りでは分かりやすい日本文化の「テーマ」を決めていている。  今年は「マンガ」をテーマにした。多くの若者が興味を持ったという。来年のテーマは「生け花」と決まっており、企画を進めている。同祭は後援団体も着実に増え、同市の定番行事として定着しつつある。  その他の同協会の活動としては、11月初めに運動会を企画し実行。今年も約200人が参加した。またゲートボールの集い、魚釣り大会も年に2回行うなど積極的に活動している。  さらに非日系人の若者が中心となり、太鼓団体「和同」(2009年設立)を結成。各イベントに参加するなど祭り以外でも日本文化普及に尽力しており、太鼓の会員は40人に達する。  衰退する他のバイア州の文協とは違い、設立当初から現状を維持または規模を拡大している同協会。取材を通して同文協の勢いを感じることができた。  現在、同市近郊に川崎重工の工場建設が進んでおり、完成すれば100人単位で日本人が来伯し、同協会に参加する見込みがある。同地域の経済発展と共に唯一の日系コミュニティーの場としてその役割がますます大きくなる。(つづく) 2012年12月8日付
ニッケイ新聞 2012年12月8日付け  今月23日に79歳を迎えられる今上天皇陛下の誕生日を祝し、文協の移民史料館で5日午前9時から祝賀会が開かれ、天皇皇后両陛下の肖像画を前に50人以上が集まった。文協、伯協、県連、老ク連、日伯文化連盟が共催した。 祝賀会には在聖総領事館の佐野浩明首席領事、文協の木多喜八郎会長、援協の菊地義治会長、県連の園田昭憲会長、ブラジル日本商工会議所の近藤正樹会頭、遠方はアラサツーバからノロエステ連合日伯文化協会の白石一資会長など、日系団体代表らが多く出席した。 文協女子コーラス部の合唱に合わせ、ピアノ伴奏で日伯両国歌を斉唱後、木多会長は「天皇陛下はブラジルに特に御心をお寄せ戴き、三度に渡ってご来伯下さり、日系社会に対しても数々の温かい激励のお言葉を賜りました感激は、在伯日系社会の一員として生涯忘れえぬもの」と敬意を表した。 続いて佐野首席領事が挨拶し、最後に園田昭憲県連会長の掛け声で万歳三唱、乾杯を行なった。なお、正午からはモルンビー区の総領事公邸で、華やかに祝賀会が開催された。日系団体や日系企業代表のほか、各国の総領事、伯国政府関係者なども訪れたが、来場者数は昨年より100人以上少ない約320人にとどまった。 福嶌教輝総領事は招待客と一人ひとり握手を交わして出迎えた後、「天皇陛下はブラジルで苦労された移住者に深く敬意を払い非常に深い思いをお持ちであり、私も両陛下が残された御心に対する当地社会の強い思いに幾度も触れた」とあいさつし、総領事として今後の日伯関係の強化に貢献することを誓った。
式典は来年の日本祭り初日を予定 【既報関連】ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)主催のブラジル日本戦後移住60周年記念祭設立の会が、6日午後2時から聖市リベルダーデ区の宮城県人会館で開かれた。会には同祭の発起人である中沢宏一宮城県人会長、川合昭秋田県人会長、南雲良治新潟県人会会長や小山昭朗ブラジル・ニッポン移住者協会会長を含む約10人が出席し、同祭について話し合いが行われた。  2003年、戦後移住50周年記念式典(中沢宏一委員長)が同委員会主催で当時のフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)の会場だった聖州議会ホールで盛大に挙行された。  同式典は、戦後の日本移民を多数引き受け、温かく見守ってくれたブラジルに「オブリガード(ありがとう)」という思いを伯国政府に伝えるという趣旨で開催された。同式典には約600人が出席。日本からは当時の広島、高知、宮城、岩手各県の知事と福岡、兵庫両県の副知事を含む約300人の慶祝団が訪伯し、ブラジル側からは聖州のジェラルド・アルキミン知事たちが出席した。  来年戦後移住60周年を迎えるにあたり、川合、中沢、南雲各会長らが「もう一度ブラジルにオブリガード」という意義で同祭を開催したいとの考えに至り、今回、同実行委員会を設立させた。  先月開かれた県連の11月度代表者会議では、同祭を県連主催で行うことが決定し、同時に来年行われる第16回日本祭りの中で同祭が開催されることも決まった。また日本祭りのテーマの副題も「移り来て、日本移民105年と戦後60年」と称し、戦後60年が取り入れられた。  6日の設立の会で話し合われた確認・決定した主な事項は次の通り。 【実行団体】ブラジル日本戦後移住60周年記念祭実行委員会。 【協賛団体】ブラジル・ニッポン移住者協会。 【委員の資格】協賛団体の中から戦後移住者と同祭の趣旨に賛同する者及び同委員会推薦者。 【実行委員長】川合昭氏。 【委員長】園田昭憲氏。  協賛団体についてはこれから文協、援協、日本語センター、ブラジル日本商工会議所、コチア青年などの戦後移住者の団体などに協力を呼び掛けていくという。  また同祭式典は、日本祭りの初日である来年7月19日午前11時から日本祭り会場で行われる予定。 実行委員長に選出された川合氏は「戦後移住60周年記念祭は最後の戦後移住式典になると思う。だから、とても意義のある行事」と強調。さらに「記念式典でぜひブラジルの大統領を呼び、日本からも内閣総理大臣を招待したい」と意気込みを示した。  小山会長も「さすが戦後移住者だなと思う企画を、これから作っていきたい」と60周年への意欲を見せていた。 来週開かれる同祭についての話し合いでは、具体的な内容を中心に論議が行われる予定。 2012年12月7日付
 株式会社エムアンドエム代表取締役の佐々木正光さん(62、秋田)とアメリカ・テキサス州で日本食レストランSUSHI・SAKEを経営する荘田高史さん(59、秋田)が、来年の県連主催日本祭りでの秋田県人会(川合昭会長)の催しや出品する日本食について調整するため、11月19日から25日まで来伯した。  また2人は川合会長の案内により、日系(地場)企業の訪問や視察を行った。将来的にはブラジルで日本酒や米の輸出入業、日本食レストランの出店も視野に入れ、ブラジルの状況を把握することを目的としている。  日本祭りについては、数年前から思案している秋田から「小町娘」や「直系の秋田犬」を招待する企画もある。また秋田産の地酒や米の販売についても協議が交わされた。  佐々木さんは「日本にないものをブラジルから、ブラジルにないものを日本から、秋田に限らず今後も各分野で両国がつながっていければ」と期待感を口にした。  なお佐々木さんの会社では、企業の海外進出のためのコンサルティング及び中国・ロシア方面からの輸出入や米欧州への輸出業務を展開しており、9月に聖市アニェンビー展示場で開催されたホテルと外食関連企業の見本市「EQUIPOTEL2012」にも参加している。  川合会長は「秋田から小町娘や直系の秋田犬の招待ができれば日本祭りの盛り上がりも一気に大きくなるはず。本物を紹介できるように実現に向けて努力する」と述べた。 2012年12月7日付
 ブラジル日本戦後移住60周年記念祭設立の会が、5日に開かれた。同日は天皇誕生日や在外投票などと重なったためか、同会の出席者は少なかった。しかし、川合昭実行委員長が言うように「最後の戦後移住記念式典」になりかねない。同祭で川合実行委員長が何か大きなことをしたいという気持ちは伝わったが、他県の県人会長を含め周りのサポートが不十分だと思ったのはモザイク子だけだろうか。 2012年12月7日付
ニッケイ新聞 2012年12月7日付け  先月の県連代表者会議で、来年7月の「第16回日本祭り」の会場で戦後移住60周年を祝う催しを行うことが決まり、有志10人が5日、宮城県人会館で初会合を開き『ブラジル日本 戦後移住60周年記念祭実行委員会』を発足させた。式典には500人以上の出席者を見込む。実行委員長に就任した秋田県人会会長の川合昭氏は「50周年もやり遂げ、自信になった。一世は4、5年先にはほぼいなくなる。これで最後。大統領や総理大臣も呼びたい」と意気込んでいる。  主催団体は名目上、場所を提供する県連だが、実行団体は同委員会となる。協賛団体として文協、援協、会議所等のほか、戦後移住者が多い伯国農大会、老ク連、コチア青年連絡協議会、力行会などにも参加を呼びかけていく。 「戦後移民ではなくても趣旨に賛同してくれる人であれば協力してもらいたい。必ずよい方向に行くと思う」と川合氏はのべ、開催まで実質7カ月前に迫った状況の中、前向きな展望を示した。 今年の日本祭りのサブテーマ(副題)は「移り来て、日本移民105年と戦後60年」。式典だけでなく、60年の歴史、活躍した一世の紹介するパネル展示案も出た。会の進行役を務めた中沢宏一氏(宮城県人会長)は「日本祭りの価値を上げ、相乗効果が生まれると思う」との考えを示した。 川合氏によれば、既に羽藤ジョージ聖州議や某企業から全面協力を取り付けたといい、全国の知事、県会議長、政治家などに招待状を出し、日本から多くの来賓を呼びたい考えだという。 具体的に何をするかはこれから検討される。発起人の中沢氏が呼びかけた当初は乗り気ではなかったというブラジル・ニッポン移住者協会の小山昭朗会長も遅ればせながら会場に現れ、積極的な協力の姿勢を見せた。「自分たち移住者向け、伯社会向けの2つの方向性があると思う。さすが戦後移住者だと言われるような企画をしたい。写真展や歴史の紹介もいいが、我々がやっているような植樹でもいいと思う」と意欲的に話し、県連ができない場合は会計業務を移住者協会が行うとも申し出た。 なお、今後は戦後移住者の県人会会長らにも参加を呼びかけ、企画を県連に持ち込み、実現可能性が検討される。 会には、発起人の中沢、川合、南雲良治(新潟)の3氏のほか篠原俊巳(山形)、川添博(長崎)、内山住勝(群馬)の各氏、移住者協会から小山会長、杓田美代子副会長、大矢進貞事務局長、県連事務員の伊東信比古さんらが出席した。
ニッケイ新聞 2012年12月7日付け  ブラジル岐阜県人会(山田彦次会長)主催の絵画展「第8回日伯友情交流展」が11~21日まで、在聖総領事館の多目的ホール(パウリスタ大通り854、トップセンター3階)で開かれる。平日のみの午前10時~午後5時半まで開場(最終日は午後3時まで)。入場無料。同総領事館の後援。 戦後移住50周年時には具象画展を開き、08年の百周年を機に日系人だけでなくブラジル人の作品も出展するようになった。テーマは自由に設定し、日系、伯人画家13人が、具象や抽象画などそれぞれ2点ずつ出展する。 出展する画家の西尾勝典さんは「いろいろな人が出しているので面白いと思います」と語り、来社した山田会長、同じく画家のエザワ・マチルデさんらとともに来場を呼びかけた。 10日午後5時半~7時までオープニングセレモニーがあり、一般の参加可。問い合わせは同県人会(電話=11・3209・8073)まで。
ニッケイ新聞 2012年12月7日付け  5日に発足した「ブラジル日本戦後移住60周年記念祭実行委員会」設立の会合は、3時間にも及ぶ長丁場だった。意欲ある人の集まりであり、やる気があることは喜ばしい限りだが、まず委員会名を決めるのに20分もかかったのには辟易。委員会と県連との関係がイマイチ不明瞭なことも気になる。県連は主催団体となっているが、実際に実行するのは委員会だ。しかも、ややこしいことに委員長と実行委員長があり、委員長は園田昭憲県連会長。園田会長は就任を了承したというが、同日別件で本人に会った時に聞くと「県連は一切タッチしない」。この意識の違いは何?
ニッケイ新聞 2012年12月5日付け  戦後移住60周年の節目を祝おう―。ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)の11月度代表者会議が先月29日、文協ビル内の会議室で開かれ、戦後移住60周年を迎える今年、日本祭りの会場で県連の協力のもとイベントを開催することが決定した。園田会長は「あと10年すれば、戦後移住者の多くは80歳になる。歴代の県人会長も、多くの成功した戦後移住者が歴任してきた。この節目を県連は避けて通れない」とのべ、日系三団体のうち後援団体としてふさわしいのは県連との考えを示した。  式典は県連主催ではなく、5日に発足する「戦後移住60周年記念祭委員会」に協力するという形をとる。県連内にも同時に担当委員会が作られ、委員長は川合昭氏(秋田県人会長)が務めることが決まった。 「やらなくてもいいのではという意見もあるかもしれないが、生き残っている一世にお返しをしたい。60周年は避けて通れない」と園田会長は出席者に説明した。日系団体の中で日本との繋がりが最も強い県連の名前があれば、日本から来賓を呼びやすくなるとの考えもあってのことだ。 ただし予算は日本祭り内からは出さず、単体で資金集めを行う。詳細は今後、実行委員会の発足後に検討される予定だ。 また、今年の第15回日本祭りの最終会計も発表された。スポンサーからの収入は89万6500レ、協賛費6万5千レ、県人会、バザリスタ、入場料、第一回ロードレースを含めたその他は135万8025レ。支出は228万375レで、黒字額は昨年の約7分の1にあたる4万1千149レにとどまったことが明らかになった。 来年の日本祭り(7月19~21日開催予定)の予算案としてはスポンサーからの収入120万レを含めた総収入285万レ、総支出は260万レで、25万レの黒字を目指すという。 「そんなにスポンサーからの出資が見込めるのか」との質問に対して園田会長は、来年は総領事館の協力が得られることに加え、出店料を10%上げるとし、「負担をかけずに収入を増やせるようにする」と説明した。テーマを「地球に優しい技術と進歩」とし、現在役員がスポンサー回りをしているという。 また、昨年は三重と福岡のみだったが来年は日本からの企業の出店を増やし、その上でバラバラに配置するのではなく日本企業だけを集めた「日本ブース」を設置するという案が示され、母県への働きかけなどを行うよう出席者に協力を呼びかけた。
ニッケイ新聞 2012年12月5日付け  「思いを馳せるだけでいい。とにかく忘れないでほしい」。東北被災地応援ツアーの参加者に、被災した人はこう話していたそうだ。県連代表者会議で同ツアーについて報告した本橋幹久氏によれば、現地では3県の県庁を訪問してそれぞれ義捐金10万円を渡し、日本語弁論大会の発表を収めた映像を流したり、ブラガンサ・パウリスタ文協日語学校の寄せ書きを渡したりするなど当地の励ましのメッセージを贈り、17人の訪問団は現地で喜ばれたよう。地球の反対側まで行って直接顔を見ることでしか生まれない、温かな空気が流れたに違いない。 ◎  本橋幹久氏によれば、今回東北を訪問した折、3県の知事あてに当地への招待状を渡したそうだ。被災した人をブラジルに招いて自分の体験を話してもらったり、青少年を県人会が受け入れ、若者同士の交流を図るという案もあるとか。彼らを大いに励まし、元気付けられるようなもてなしができれば、交流の新たな1ページとなるかも。